拙かった鳥谷敬「下手くそって力むんですよ」 苦労を覚悟も…名伯楽が見た不断の努力
久慈照嘉氏は阪神1軍コーチを計12年間務め、4人の監督に仕えた
阪神、中日で守備の名手として活躍した久慈照嘉氏は2009年から2013年まで、2016年から2022年までの計12年間、阪神の1軍内野守備走塁コーチを務めた。真弓明信監督、和田豊監督、金本知憲監督、矢野燿大監督と4人の指揮官に仕え、最後の2年間はバント担当も兼務。数多くの虎選手を指導した中、印象深いこととして鳥谷敬氏の努力を挙げた。「最初は守備がそこまで上手と思いませんでしたからね」と振り返った。
久慈氏は2005年オフに阪神を退団して自由契約となり、現役続行を目指したが、最終的に断念し、2006年1月31日に引退を決めた。その後、コーチ修行のつもりでMLBブレーブスのマイナーキャンプに自費で約2週間参加。「ブレーブスのスカウトだった大屋(博行)さんにお願いして、マイナーのキャンプのお手伝いをさせてもらった。どういうものなのかを見たかったのでね」。
5月頃から家族も連れてハワイに1か月ほど滞在。いったん日本に帰国後、7月頃にはロサンゼルスに向かった。「ロスにも2週間ほど。斎藤隆(当時ドジャース)や田口壮(当時カージナルス)が現役バリバリだったので、グラウンドに行って写真を撮ったり、向こうに住んでいた伊良部(秀輝)と会って食事に行ったり。無収入でしたけど、持っているお金で今までできなかったことをね。家族がともに行動してくれたのはありがたかったし、思い出です。あの年は」。
2007年からは野球評論家として活動し、2009年シーズンから真弓監督に誘われて1軍守備コーチとして阪神に復帰した。そこから真弓阪神の3年間、和田阪神でも2年間コーチを務め、2013年オフに退団。2015年に東海大甲府時代の恩師・大八木治氏が監督だった福井・啓新高校の外部コーチに就任したが、2016年シーズンからの金本政権で再び阪神コーチとなり、2019年からの矢野阪神が終了した2022年まで虎選手たちを指導し続けた。
「4人の監督の下でやりましたけど、みんなそれぞれタイプは違いましたね。僕は監督がこうしてほしいことに対してやってあげたい、選手をこうしてほしいと言う時に育てたい。そう思ってやっていました。選手よりコーチが目立つのは嫌だった。コーチがもっと目立っていいと言う人もいましたけど、僕はノーでした。今は怒るコーチとか怖いコーチがいいとか言う時代ではない。僕はそう思っているんでね」
鳥谷敬の努力に感服「すごく頑張っていた」
計12年間の阪神コーチ生活ではいろんなことがあったということだろう。おまけにチーム成績によってはコーチに対するファンの目も厳しくなる。人気球団の阪神なら、なおさらだ。印象に残る選手として久慈氏が真っ先に名前を挙げたのが鳥谷だった。遊撃手としてNPB歴代1位の667試合連続フルイニング出場記録を達成した名手だが「そんな選手に携われたことで逆にありがとうと思える自分がいるんです」という。
「彼は必死にショートとしてすごく頑張っていました。入団してきた時に僕は現役でかぶっているんですけど、上手には見えなかったし、これは苦労するやろうなと思っていました。それを努力であそこまでの地位をつかんで、すごい記録も達成したんですからね」。鳥谷はゴールデングラブ賞も5回受賞(遊撃手で4回、三塁手で1回)。その上、通算2000安打も成し遂げたのだから、すごいとしかいいようがない。
久慈氏は、鳥谷について「力を抜くことだけは教えたつもりでいます」と話す。「捕球する時に力を入れるんじゃなくて、力を抜いてさばくと軽く見えるじゃないですか。下手くそって力むんですよ。だから、その力感を出さないで捕ろうよ、力を抜いて守ろうよってね」。最初の頃の鳥谷は力んでいたという。それが変わった。「本人が努力してできるようになったと僕は思っています。彼がどう思っているかはわかりませんけどね」と目を細めた。
2022年シーズン限りで久慈氏は阪神を退団した。キャンプイン前日に矢野監督がその年限りの退任を発表した時に決めていたことだという。「あ、やめるんだ。じゃあ俺もやめようと思って1年過ごした結果でした」。球団にはただただ感謝している。「タイガースでコーチを12年させてもらった。それもずっと1軍でやらせてもらって、その中で得たものはたくさんありますよ」。すべてが久慈氏にとって財産になっている。
現在は小中学生や高校の女子硬式野球部を指導する
ここまでの野球人生で吸収してきたことを久慈氏は今、小中学生の子どもたちや女子野球への指導で余すことなく注いでいる。兵庫県姫路市の小中学生向けの野球教室「ダッシュベースボールアカデミー」では塾長、「GXAマンツーマン野球教室兵庫校」ではヘッドコーチ、さらに神戸国際大付女子硬式野球部の特別コーチも務めるなど精力的に活動している。
「ダッシュアカデミーは月5回(毎週月曜プラス水曜1日)、GXAは毎週木曜日、神戸国際大付の女子は月に3、4回ですね」。現在のすべての教え子たちの成長が久慈氏の楽しみであり目標だ。「野球塾の生徒が高校に行って甲子園に出るとか、プロ野球選手になるとか、あの時、携わったよなってなるのが夢ですね。女子を教えるのは初めてなので、勉強しながら、わかりやすくと思ってやっていますが、レベルは高いですよ」と目を輝かせた。
神戸国際大付の女子野球部は2023年4月に2年生1人、1年生11人で発足した。「今の1期生が2年後の最後の夏を甲子園でできるようにするのも夢ですね」と久慈氏は話す。決勝が甲子園球場で行われる夏の全国高校女子硬式野球選手権大会。2023年は同じ兵庫の強豪校・神戸弘陵が2年ぶり3度目の優勝を成し遂げたが「打倒・神戸弘陵で2年後、優勝しようやって頑張っていますよ」と言い切った。
長女の愛さんはオスカープロモーション所属で、2023年の「第95回記念選抜高等学校野球大会」のセンバツ応援キャラクターを務めた。「びっくりしましたけど、うれしかったですよ。自分のやりたいことに向かって努力している姿を見ているので成功してほしいな、ミュージカル女優になる夢をかなえてほしいなって思っています」と父親の顔で微笑む。こちらも楽しみはいっぱいだ。
守備の名手・久慈氏の野球人生はいろんな“出会い”に支えられてきた。恩師、監督、しのぎを削ったライバルたち、教え子たちからもパワーをもらうこともあっただろう。もちろん家族の支えは何よりも大きかったはずだ。現在は野球塾の子どもたちや神戸国際大付女子野球部の生徒たちの育成に全力で取り組む。この出会いも大切に「親目線でたくさんの子どもを育てている感がありますね。簡単ではないけど、やり遂げたいと思っています」と声を大にした。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)