2軍でも出場できず「予感あった」 ドラフトで確信した戦力外「捕手を獲った…」
元中日・桂が語るシーズン終盤の予感「後半は結構長く感じました」
苦難の連続だったプロ野球生活も今となれば、よかったものと思える。元中日の桂依央利捕手は2022年オフに日立製作所にコーチ兼任として入社し、1年目のシーズンを終えた。「選手をおろそかにしては兼任する意味がない」。まだまだプレーヤーの炎は消えていない。
「最後の方は予感ありましたよね」。突然の通告というわけではなかった。2022年、桂はわずか10試合の出場にとどまった。同年、チームでは木下拓哉捕手に次ぐ“2番手捕手”が不在だったが、7月以降は1軍昇格の機会なし。2軍でも33試合に留まった。
「最後の方は『そうかな』っていうのはありましたね。(シーズン)後半は結構長く感じました。そういうの(戦力外になること)もわかりつつ、練習はしないといけない。(戦力外の選手は)シーズン中でも大体わかると思う。ポジションとか使われ方とかで何となく」
その予感が高まったのは2022年10月20日のドラフト会議。中日は4位で山浅龍之介捕手を指名した。「ドラフト見ながら、『キャッチャーを獲ったか』って。多分僕かなって」。予感は的中し、その翌日に球団から電話がかかってきた。同年10月22日、球団から戦力外通告を受けた。
選手専任の誘いもあったが兼任コーチを選択「今しかできない」
意外にもすんなり受け止めることができた。「結果は出てなかったので。『しょうがないな』というか、そんなもんかな。どこかでやるつもりだったので」。12球団合同トライアウトを受けたが、3打席で2三振を喫し、NPBから声はかからなかった。
その後、球団の小山良男スカウト経由で日立製作所からコーチ兼任で誘いが来た。他にも選手専任での誘いもあったが、「今しかできないので」と兼任コーチを選んだ。中日時代には谷繁元信氏が選手兼任で監督を務めていた。「選手としてのパフォーマンスを維持しながら凄いなって。ましてやプロ野球であれをやるって大変だな」と改めて難しさを感じた。
昨季、日立製作所は社会人野球の2大大会でもある日本選手権と都市対抗の出場を逃した。「もっと選手として力になりたかったですね。日立製作所に来たからには2大大会に出たい。都市対抗はすごいと聞いていますが、見たことがないので」。東京ドームをオレンジ色に染めるためにも、まだまだ若手には負けられない。
(川村虎大 / Kodai Kawamura)