阪神からの“移籍”は「あると思ってた」 巨人で驚いた「サロン」…元ドラ1の明るい胸中

Full-Countのインタビューに応じた巨人・馬場皐輔【写真:宮脇広久】
Full-Countのインタビューに応じた巨人・馬場皐輔【写真:宮脇広久】

「おじいちゃんになってから、孫に『巨人と阪神の両方でやった』と自慢します」

 現役ドラフトで昨季覇者・阪神から巨人に移籍し、順調に調整を進めている馬場皐輔投手が、Full-Countのインタビューに応じた。巨人に馬場姓の選手が在籍するのは、故・馬場正平氏(後のプロレスラー・ジャイアント馬場)以来65年ぶりで話題になったが、昨季の救援防御率が12球団ワーストの3.81に終わったチームにあって、リリーフ陣を底上げする救世主として現場の期待も大きい。

 ドラフト1位で入団し、6年間在籍した阪神から巨人に来て一番驚いたことは何かと聞くと、馬場は「サロンですかね」と“謎”の言葉をつぶやき、ニヤリと笑った。実は巨人では、本拠地・東京ドームでもキャンプ地でも、選手・球団関係者用食堂を「サロン」と呼んでいて、当初戸惑ったという。なんとなく都会的な、洒落た呼び名だ。

 一方で、2月の春季キャンプについて「巨人は練習と練習の間隔が短くて、次のメニューに行くのが早い。ぎゅっと詰まっている感じがしました」という。

 導入2年目の現役ドラフトで巨人から指名されたのは、昨年12月8日。「うれしかったですよ。もともと、現役ドラフト(で指名される可能性)は立場的に『ある』と思っていて、行きたい球団の1つが巨人でした。12球団ある中で巨人軍のユニホームを着られることになり、満足感がありました」と振り返りながら、満面に笑みを広げる。

 阪神から巨人への移籍は、2004年の開幕前に野村克則氏(現阪神2軍バッテリーコーチ)が金銭トレードされて以来、20年ぶりのレアケース。その後、昨季まで2年間阪神でプレーしたカイル・ケラー投手も巨人に加わった。馬場は「将来おじいちゃんになってから、孫に自慢できます。『巨人と阪神の両方で野球をやったぜ』と言いますよ」とうなずく。

 宮城・塩竈市出身で、地元に楽天球団が創設された2005年当時は小学4年生だった。「僕の子どもの頃、楽天はまだできたばかりで、いつもテレビで放送されていたのはジャイアンツ戦。僕が選手をたくさん知っていたのもジャイアンツでした」と記憶をたどる。

巨人・馬場皐輔【写真:矢口亨】
巨人・馬場皐輔【写真:矢口亨】

阿部監督に「僕が捕手なら、あのカーブで勝負したい」と言わせた魅力

 子どもの頃、特別に憧れた選手はいたのだろうか。そう聞くと、馬場は少し口をつぐみ、「これを言うと、監督が阿部さんだから言っているのだろうと思われそうですが……」と前置きした上で、「僕は小学生の時、主にキャッチャーをやっていて、自宅のリビングでテレビを見ながら、阿部さんのキャッチングを練習していました。本当に、事実なんです!」と力を込めた。当時の阿部監督は巨人の正捕手。テレビ中継に映し出される動作を必死に真似る少年の姿が、浮かび上がってくるようなエピソードだ。

 タフな救援投手として、回またぎやロングリリーフにも対応できるのが馬場の強みで、昨年も7月4日の広島戦(マツダスタジアム)では、4回から6回までの3イニングを1安打無失点に抑えた。2020年には32試合に登板して防御率2.08、翌21年にも44試合で同3.80の実績を持つが、最近2年間は12球団随一を誇る阪神のリリーフ陣に埋もれる形で、1軍登板が減少。昨季も登板は19試合にとどまりながら、内容は防御率2.45と安定していた。

 最速155キロの速球にスプリット、カットボール、カーブをまじえる投球スタイル。キャンプ中には阿部監督から「自分の中での、変化球の順位を教えて」と声をかけられたことがあった。「ほぼほぼ、全部同じです」と答えると、指揮官は「僕がキャッチャーだったら、真っすぐを効かせた上で、あの縦に割れる大きなカーブで勝負したいな」と述懐したという。かつての“憧れの人”は、以前から自分のことを捕手目線で観察していたのだ。

 キャンプ中にブルペン入りする日には、50~80球を投げ込んでいた。救援投手としては多めに思えるが、試合でロングリリーフとなる可能性、登板前に幾度となく肩をつくり直すケースなどを想定し、計算して弾き出した球数だった。「今の時期にこれくらい投げておいた方が、シーズンに入ってから楽だと思うので」と説明する。

 憧れた阿部監督の下で、大車輪の働きをするための準備を着々と整えている。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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