18歳の大谷翔平にスカウト仰天「322キロに見えた」 明かされる争奪戦での“伝説”
2012年、大谷翔平の獲得に積極的だったレッドソックス「ファンタジーのように思えた」
ドジャース・大谷翔平投手は2012年ドラフト1位で日本ハムに入団したが、プロ入り前から“伝説”を残していた。レッドソックスの地元メディア「マスメディア」のショーン・マクアダム記者が「当時のスカウトは(大谷の)ブルペン投球が200マイル(約322キロ)に見えた」と衝撃的な回想をしていると報じている。
同記者は「昨秋、ショウヘイ・オオタニがFAになった時、レッドソックスは獲得先の候補に含まれていなかった」と言及している。移籍先に浮上したのはブルージェイズ、ジャイアンツ、そして最終的な勝者となったドジャースで、レッドソックスは含まれていなかったとしている。
しかし、大谷が日本ハムに入団する前、レッドソックスは「積極的に獲得に動いていた」としている。当時、大谷翔平は「欧米ではほとんど無名だった」が、レッドソックスはアマチュア時代から熱心にスカウトしたチームのひとつだった。
環太平洋地区でスカウトを務めていたジョン・ディーブル氏は、現レッドソックスのGM補佐であるエディ・ロメロ氏とともに大谷の“獲得調査”に熱心だった。とくに、当時は「投手と打者を兼ねる選手はファンタジーのように思えた」と説明している。
18歳でメジャーの舞台に視野を広げていた大谷について、ロメロ氏は「とても勇気があり、素晴らしいと思った。それは彼の自信と競争心を物語っていた」としている。だからこそ、大谷の将来のために考案した「計画」を詳細に説明したのだった。
大谷は、レッドソックスが松坂大輔や岡島秀樹ら日本人選手獲得した実績を知っていたという。レッドソックスは、松坂をはじめとする他の選手の意見を聞きながら「説得力のあるアプローチ」を練ったのだった。
大谷は当時から「二刀流をやりたがっていたし、我々もそれに前向きだった」とロメロ氏。ただ、獲得することはできず、当時レッドソックスでGMを務めていたベン・チェリントン氏は「がっかりしたよ。だけど、当時は、何を逃しているのかわからなかった。明らかに、彼は良い選手になると思っていたけどね」と話し、“将来のスター”を獲得できなかったことを悔やんでいた。
(Full-Count編集部)