チヤホヤされたドラ1指名…見失った自分 結果残せず心無いヤジ「放っておいてくれ」

愛媛マンダリンパイレーツでコーチを務める伊藤隼太氏【写真:喜岡桜】
愛媛マンダリンパイレーツでコーチを務める伊藤隼太氏【写真:喜岡桜】

2011年阪神ドラ1・伊藤隼太氏…一番の心残りは入団1年目の春季キャンプ

 2011年ドラフト1位で阪神に入団した伊藤隼太氏は、2022年に四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツで現役生活に終止符を打った。現在は同球団の野手コーチとして技術指導や、NPBを目指すことの厳しさなどを伝えている。伝統球団でドラフト1位の看板を背負って過ごした9年間には、堪えがたい苦難も多かったという。

 慶大から阪神にドラフト1位指名されると、周囲の環境が一変した。いろんな人から祝福を受け、「周りからチヤホヤされる気持ちよさで、自分を保てなくなっていたと思います」と振り返る。運命を変えたドラフトから3日後、神宮球場で行われた東京六大学秋季リーグ最終戦で早大1年の有原航平投手(ソフトバンク)から死球を受けて1か月ほどの療養を余儀なくされた。練習ができない焦りと、1位指名された高揚感とで、心が激しく揺れていた。

 1軍に帯同したプロ入り直後の春季キャンプでは、未来の猛虎打線を背負って立つ若虎として期待され、連日多くのファンから声援を浴び、報道陣に囲まれた。キャンプ中に手首を故障するなどしたが、まだ耳障りのいい言葉の方が多かった。だが伊藤氏は、この時期こそ現役生活において一番の心残りになっていると振り返る。

「入団したあとの1、2か月の過ごし方を変えていれば、違った生活を送れていただろうなと思います。野球に対する姿勢が足りなかった。(ドラフト指名時の)僕は学生ですし、まだ若くて、分からなかったよな、仕方なかったよなとも思うんですけど。ドラフト1位で入ると3年目くらいまでは優先的に使ってもらえますし、報道にも取り上げてもらえます。そんなことで舞い上がってしまわなければと……あとになって思いましたね」

結果を残せず心無いヤジ…「しんどいな、もう放っておいてくれ」

 一方で、耳や目を塞ぎたくなることもあった。ファンが期待する“ドラ1相当”の結果が残せなかった時は、スタンドから心無いヤジが飛び、ネット上でも叩かれた。1年目は22試合で打率.148、2年目は30試合で打率.145、3年目は52試合で打率.294。徐々に数字は上がったが、期待される数字は残せていなかった。

「僕はもともと人から注目されることが嫌いな性格ではなかったと思う」というが、徐々に人目を避けるようになった。さらに「ちょっと言ったことを記者に大きく書かれてしまった」ことで口数も減った。プロ野球選手として生きる日々に嫌気が差し、「しんどいな、もう放っておいてくれって思うようになりました」と語る。

 伊藤氏は「ないものねだりなんですけどね」と笑いながら言葉を続ける。

 4年目を迎えると、だんだんと人が離れていった。「今まで僕を使ってくれていた人が、使ってくれなくなったり、気にかけてくれていた人が、気にかけてくれなくなったり。そういう変化も感じました」。1軍昇格や試合出場のチャンスが、若い選手たちへ移り始めたのだ。このままでは阪神にいられなくなるかもしれない。危機感と、寂しさが生まれた。

(喜岡桜 / Sakura Kioka)

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