引退の打者に“避けた”敬遠「面白くない」 牛島和彦の葛藤…よぎったファンの思い
1988年球宴第3戦、牛島和彦氏は巨人の投手・水野にサヨナラ犠飛を許した
1988年は、中日からロッテ移籍2年目の牛島和彦氏(野球評論家)にとって劇的な一打を浴びたシーズンだった。オールスターゲーム第3戦(7月26日、東京ドーム)では3-3の延長12回に代打で登場の巨人・水野雄仁投手にサヨナラ中犠飛。パ・リーグ優勝争いが大詰めの10月19日のロッテー近鉄戦(川崎)ダブルヘッダー第1試合では3-3の9回2死二塁で梨田昌孝捕手に勝ち越し打を許した。ただし、いずれも“牛島流”を貫いた結果でもあった。
この年は日本初の屋根付き球場である東京ドームが開場した。初公式戦はシーズン開幕の4月8日にデーゲームで巨人-ヤクルト、ナイターで日本ハム-ロッテ戦が行われた。牛島氏は日本ハム戦で3-2の8回から先発・村田兆治投手をリリーフして2回無失点。東京ドームでのパ・リーグ公式戦で初めてセーブを挙げた投手になった(セ公式戦ではヤクルト・伊東昭光投手がその日にセーブをマーク)。そんなスタートだった。
牛島氏はシーズン前半を1勝3敗17セーブで終え、オールスターゲームにも監督推薦で出場。第1戦(7月24日、西宮)は3-1の9回に登板して1死からトレード相手で因縁の中日・落合博満内野手に右前打を許したが、ゼロに抑えてセーブを挙げた。そして第3戦、3-3の延長12回裏に登板した。ゼロに抑えれば引き分けで終わるところで、先頭の広島・正田耕三内野手に右越え三塁打、ヤクルト・広沢克己外野手には四球を与えてピンチを招いた。
ここで全セの巨人・王貞治監督は大洋・中山裕章投手に、池田高時代に打撃でも甲子園を沸かせた水野を代打に送った。すでに野手は全員使い切っていた。マウンドの牛島氏は「オールスターゲームでピッチャーが代打で出てきて、フォークボールを投げるのはどうなんだろう。それでいいのかな」と考えたという。結果、真っ直ぐで勝負することを選択。それが中犠飛になってサヨナラ負けで敗戦投手になった。
それでも牛島氏は「自分の成績とかに関係なく、球場が盛り上がったからええわと考えていました」と話す。水野は優秀賞100万円をゲット。「水野と焼き肉店で会ったら『ご馳走させてください』って言ってきましたよ」と笑いながら振り返った。だが、10・19はさらに迷ったという。近鉄がダブルヘッダーのロッテ戦に連勝すれば優勝、1試合でも負けか引き分けた場合は、先に全日程を終えた西武の優勝という状況で迎えた戦い。その緊迫場面だった。
規定により9回打ち切りだった第1試合。3-3の9回表1死二塁で牛島氏はマウンドに上がった。点を許さなければ、近鉄の勝ちはなくなってV逸という状況で、近鉄・鈴木貴久外野手に右前打を許したが、前進守備の右翼手からの返球で二塁走者が三本間で挟まれてアウト。2死二塁となった。近鉄・仰木彬監督は代打に、引退が決まっていた梨田を送った。牛島氏はここでまた思案することになった。
打ち取ったはずがセンター前にポトリ…許した勝ち越し打
一塁ベースが空いていたので、敬遠策も考えられるところだったからだ。「梨田さんを敬遠するべきなのか、勝負するべきなのか、すごく悩みました。ベンチからはサインが出ていないけど、どうしようってね。まず、その年で引退する人の最後の打席が敬遠でいいのかな、あれだけバリバリ野球をやってきた人の最後がそれでいいのかなって思いましたね」。考えた末に牛島氏は勝負を選択した。
「ここで勝負してアウトにして近鉄の優勝がなくなっても近鉄ファンは納得してくれるけど、敬遠して次のバッターを何とか抑えたら“梨田と勝負してくれへんかったぁ”って面白くないのだろうなぁと思いました。そういうのをトータルで考えましたね」。全力で打者・梨田を打ち取るだけ。そう決めた。「梨田さんとは何度も対戦してインコース見せ球で外のスライダーみたいなパターンが多かったので、逆にここはインサイドにシュートで勝負しようと思って投げた」
狙い通り、打ち取ったはずだった。だが、梨田の執念が、近鉄の執念が上回った。「詰まったんですけどセンター前にポテンと落ちたんですよね」。勝ち越しのタイムリーを許してしまった。その裏、ロッテ打線は近鉄・阿波野秀幸投手から得点を奪えず、4-3で近鉄が勝利し、第2試合に優勝の望みをつないだ。牛島氏は敗戦投手になった。
「あの日の試合前ミーティングで“ロッテは何をすべきなんだろう”って話になって、近鉄ファンにも西武ファンにも、ロッテは全力を出し切ったなというふうに見せないと駄目なんじゃないかってなっていたんですよね」。第2試合は4時間12分の激闘の末、延長10回4-4の引き分け。近鉄は優勝を逃した。ロッテ・有藤道世監督の長い抗議シーンもあったが、満員の川崎球場で大いに盛り上がった10・19は牛島氏にとっても忘れられない日にもなった。
「第2試合は上がりだったので関係なかったですけどね」というが、もちろん、自身が選択したことに後悔はない。球宴第3戦にせよ、10・19第1試合にせよ、牛島氏らしさも十二分の戦いだった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)