世界でただ一人、発見した野茂英雄のクセ 同僚は理解不能…笘篠誠治の驚愕の眼力

近鉄時代の野茂英雄氏【写真:産経新聞社】
近鉄時代の野茂英雄氏【写真:産経新聞社】

笘篠誠治氏はユーティリティプレーヤーとして西武で活躍した

 1983年から西武一筋で15年間プレーした笘篠誠治氏は、日米でトルネード旋風を巻き起こした野茂英雄を得意としていた稀有な選手だった。「癖を見つけていたんですよ」。おそらく“世界でただ一人”であろう野茂英雄の癖を見抜いた男。Full-Countのインタビューで、その全てを語った。

 野茂は独特のトルネード投法を武器に、ほぼ直球とフォークボールだけで近鉄に入団した1990年から4年連続2桁勝利など、NPBでの5年間で78勝を挙げた難攻不落の右腕。西武が対戦する際は左翼で左打ちの安部理、吉竹春樹らが出場していたが、チームとしてなかなか打つことができずにいた。

「これ、野茂を打てたら試合に使ってもらえるんじゃないか」。右打ちの笘篠氏は食い入るように投球ビデオを見続けた。そして、ある“法則”に気づいた。

「野茂がトルネードになって背中をこちらに向けたとき、首の横あたり、右耳の近くにボールを握る右手がグラブから一瞬だけチラッと見えるんです。そのとき、小指の第2関節が立って(伸びて)いたらストレート。尖っている(曲がっている)とフォークだったんです。彼は小さめのグラブを使っていたので、小指が見えたんです」

 癖を見つけたのち、笘篠氏が実際に野茂の打席に入る機会が訪れた。「100%合っていました」。球種が分かればフォークボールを見送ればほとんどがワンバウンドのボール球に。「カウント有利になって直球を1、2の3で打っていました。18.44メートル先で、一瞬見える小指ばかりを凝視していました」。

 ただし、野茂が投げる際に大きく体を旋回させるのはワインドアップのときのみ。走者を背負ってのセットポジションだとフォームが違う。「なので、ランナーが出ないように、前の打者には凡退するように密かに願っていました」と笑った。

西武でプレーした笘篠誠治氏【写真:湯浅大】
西武でプレーした笘篠誠治氏【写真:湯浅大】

口外するもりはなかったが…当時のコーチが自伝で“暴露”

 出場機会を確保するため、自分だけの“武器”としていたが、1994年に打撃コーチに就任した谷沢健一から「なんでお前は野茂を打てるんだ」と聞かれ、明かした。すると「チームが勝つためにみんなに教えてくれないか」と懇願され、ついにミーティングでバラすことになった。

 伝授したはいいが、あまりにも難解すぎた。石毛宏典は「遠いところの小指なんて見えないよ」。辻発彦は分かったそうだが「そこを見ていたら間に合わないから打てない」。結局は笘篠氏の“専売特許”になった。「僕は視力が悪くて、コンタクトをつけて1.2なんですけどね。そこだけはハッキリ見えていたんですよ」

 野茂と主にバッテリーを組んでいた光山英和は大阪・上宮高の1年後輩。打席に入ると「トマさん、野茂の癖わかっているでしょ」とずっと囁かれていたという。わかっていることを隠すためにも「フォークボールが来ると知りながら、わざと直球のタイミングで空振りしていました」と細やかな努力も怠らなかった。

「ボール自体は凄いし、歳をとって打ち損じも増えていたので、通算成績で打率3割はいっていないんじゃないかな。でも1試合に1本は直球をヒットにしていましたよ」

 本来は「わざわざ人に言う必要はない。墓場まで持って行くつもりだった」という。しかし「谷沢さんが自伝で書いちゃったんです。コーチ時代の話として。もう隠す必要がないんです」と苦笑い。だからこそ今、こうして聞くことができた。スター揃いのなかで、こんなしたたかな男がベンチを支えていた。西武黄金時代の強さを垣間見た気がした。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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