紅白戦本塁打で「色気づいた」…崩れた調子 法元英明の戦力外に家族は「信用してくれなかった」

中日でプレーした法元英明氏【写真:山口真司】
中日でプレーした法元英明氏【写真:山口真司】

法元英明氏は1968年限りで引退…ヒーローになり損ねた開幕戦

 元中日スカウトで、7月25日の中日初のOB戦で総監督を務める法元英明(ほうもと・ひであき)氏は1968年シーズン限りで現役を引退した。投手として入団し、3年目に外野手転向。13年間のプロ生活だった。振り返れば、飛距離アップを意識して打撃フォームを改造してから調子を落としたそうだが、ラストシーズンは開幕戦から“まさか”のこともあったという。「あれがあの年のインケツの始まりだったな」と渋い表情で明かした。

 法元氏はプロ11年目(1966年)に81試合、12年目(1967年)は72試合に出場した。代打が中心の出番だったが、この頃について「ちょっとバッティングを崩していた」と話す。「それまでは上からバシッと、直線型のスイングだったけど、ちょっと下からバットを出したろうと思ってね。なんでかというと、キャンプ(の紅白戦)でポーンと打ったらホームランになったんだわ。それで今年は大きいのを打とう。ホームランを増やしたろうって思ってね」。

 この打撃改造が裏目に出たという。「色気づいてしまったんやなぁ。そのスイングになってから打てなくなったもんね。もしも、あの時、変えていなかったら、まだ3、4年はできていたんじゃないかな。最後、元に戻したんだけど、遅かった……」。34試合の出場に終わった13年目(1968年)を最後にユニホームを脱ぐことになった法元氏だが、思い出すのはその年の開幕戦だという。「本当はあの試合、僕がヒーローだったんだけどね」。

 4月6日のサンケイ(現ヤクルト)戦(中日)は9回裏に一枝修平内野手が1死満塁からサヨナラ打を放って、中日が3-2で勝ったが、法元氏が悔しがるのはその前の8回裏の攻撃だ。2-2で2死二塁。打者は途中から6番に入っていた島野育夫外野手だったが、ここで杉下茂監督は「代打・法元」を告げた。相手は先発で粘りの投球を続ける右サイドの石戸四六投手だった。法元氏は首脳陣の期待に応えた。「僕はね、そこでヒットを打ったんだよ」。

 だが、この後に“まさか”が起きたという。「二塁ランナーは千原(陽三郎内野手)だったけど、サードを回ってから転びよったんよ。それでもまだホームに行けば楽にセーフだったのに、サードにバックしてしまって殺されよった」。勝ち越しタイムリーになっていたら法元氏がヒーロー。運がなかったとしか言いようがない。「それはよく覚えているよ。変なことになったなぁって、あの時、思ったんだよな。千原は身軽な男じゃなかったけどね」。

 その後の法元氏は、4月19日の大洋戦(福井)で代打安打を放ったのみの、結果を残せない歯がゆいシーズンを送った。9月20日の巨人戦(中日)に代打で城之内邦雄投手に三振。結果的に、それが現役ラスト出場になった。「あの年で辞めるつもりはなかった。まだやれる自信があった。でもシーズンが終わって、ちょっとしてからスカウトになれって言われたんだよね。球団は翌年の戦力を整備してから、僕に言ったんじゃないかな」。

高木守道に驚き「頭の中には次のプレーが入っていた」

 法元氏はすぐに返事はしなかった。「ちょっと待ってくださいと言った。なかにはいたんだわ。『他の球団だったらまだまだいける、まだまだできるやろ』って言ってくれる人がね。家族も『今日でクビを仰せつかった』と言っても最初は信用してくれなかったよ」。それでも熟考を重ね、最終的にはスカウトへの転身を承諾した。「33歳だったけど、今さらヨソの球団に行ったってという気持ちも強かったしね。自分で苦渋の決断をした」。

 13年間の現役生活。3年目に投手から外野手に転向したが、なかなかレギュラーに定着できなかった。「もうちょっと自分なりにチャンスをもらえたらという気持ちはあったけどね」。高いレベルのライバルも多かった。なかでも中利夫外野手については「すごかったと思う」と言う。「あちこち痛めていて、ダブルヘッダーになってもなかなか代わろうとしなかった。大丈夫ですって言ってね」。中と1、2番コンビを組んだ高木守道内野手も忘れられないという。

「守道は天才やわ。入って来た時から違ったな。必ず彼の頭の中には次のプレーが入っていた。『ランナー、ランナー、サード行けよ』なんて言った時にはもうサードを回っているような選手だった。一緒にやっていたプレーヤーのなかでは守道が一番。昔の選手のことを一番とか言ったら“何言っているねん、現代野球は変わっているんや”ってみんな言うかもしれないけど、守道は別だと思う。無口やったけどね」

 法元氏はさらにこう付け加えた。「やっぱり今のドラゴンズの1、2番を見ていたら、悪いけど、中、高木の1、2番と比べてしまうわけなんよ。ねちっこいし、なかなか三振せんし、あの2人はどの球団も嫌だったと思うよ。イニング、試合の状況とか考えずに1球目からポカーンとフライを上げたり、そういう野球はせんかったからねぇ……」。

 プレーヤー継続への未練を断ち切って、法元氏が新たに飛び込んだスカウトの世界。その後、次々と主力選手となる人材をドラゴンズに送り込んでいくことになるわけだが、中、高木ら超一流プレーヤーたちとの現役生活が、選手を見る目にも大きく役立ったのは言うまでもない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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