日本行きは「不安だった」 収入危機で飛び込んだ広島…“覚醒”した神助っ人の胸中
2年連続で最多奪三振のタイトルを獲得したコルビー・ルイス氏
メジャーリーグの若手有望株が集うフューチャーズゲームが13日(日本時間14日)、グローブライフフィールドで行われた。ナ・リーグのブルペンコーチを務めていたのは、元広島のコルビー・ルイス氏だった。プレーしたのは2年だけだが、エース級の働きを見せただけに、ファンからは“神助っ人”と称されることも。「カープで過ごせた時間にとても感謝しているよ」。日本での日々を振り返った。
今回は、グローブライフフィールドで行われるということもあり、両チームのコーチ陣にはレンジャーズのレジェンドたちが集結。ルイス氏はナ・リーグのブルペンコーチを務めていた。
1999年にMLBドラフト1巡目追補(全体38位)でレンジャーズから指名を受けてプロ入り。2003年は10勝を挙げたものの、翌2004年に1勝してから3年間で0勝。肩の故障などもあって苦しんでいた。広島移籍前年の2007年はアスレチックスで26試合に登板して0勝2敗、防御率6.45の成績で、キャリアの危機だった。
「私にとってはハイレベルで野球を続ける機会だった。家族のために収入を得るためのね。それが日本でプレーする最大の理由の1つだった」
広島1年目の2008年は26試合に先発して3完投(2完封)、15勝8敗、防御率2.68の成績を残すと、翌2009年は29試合で11勝9敗、防御率2.96で、2年連続で最多奪三振のタイトルも獲得。2008年からメジャーに挑戦した黒田博樹の穴を見事に埋めた。「楽しい時間を過ごした。たくさんの思い出を覚えている。メジャーリーグに復帰するためにドアを開いてくれた」と感謝を口にする。
NPB挑戦においての“壁”「最大のチャレンジだった」
異国の地でのプレーについては、「少し不安だったよ。なぜなら、向こうの野球レベルがどれくらいかわからなかったからね」と回顧する。また、言語の違いにも最初は戸惑った。「海外にいるわけだから、そこの言葉を話すわけではないし。それが最大のチャレンジだったと思う。でも、しばらく向こう(日本)で過ごした後は、全てが難しくはなくなったよ」。
日本で学んだことは“自信の持ち方”だった。「自信の度合いかな。自分の球をより信頼することだ」。メジャー時代よりも制球を重視し、勝てるスタイルを身に着けたのだった。
2010年からは古巣レンジャーズに復帰。同年は12勝、2011年には14勝をマークし、ポストシーズンでも安定感ある投球を見せた。2015年には17勝を挙げるなど、日本での経験を生かしメジャーで大成功を収めた。
フューチャーズゲーム前にスタジアムで名前が紹介されると、古巣のファンから大きな歓声と拍手が送られていた。広島のファンに向けては「何年もの間、応援してくれてありがとうございます。戻るのが待ちきれません。もし可能なら、始球式で投げたいですね。そして、みんなに直接感謝したい。そうなれば、特別なことだね」と微笑んだ。1度はメジャーで苦汁をなめた男は、日本での経験を生かし、母国でも愛される選手となっていた。
(上野明洸 / Akihiro Ueno)