鮮烈デビューで「打撃が崩れた」 高2で甲子園2発も…古木克明の”苦悩”「恥ずかしい」
元DeNAの古木克明氏は豊田大谷高2年時に1試合2発の甲子園デビュー
ドラフト1位で入団した横浜(現DeNA)やオリックスでプレーした古木克明氏はパワー溢れる打撃でファンを魅了した。プロ入りへの大きな一歩となったのは、豊田大谷高(愛知)の2年時だった1997年の夏の甲子園だった。初戦で1試合2本塁打を放ち、一気に注目される存在になると翌年も2年連続出場を果たし4強入り。しかし、古木氏自身は栄光の過去をFull-Countのインタビューで「恥ずかしいことです」と語った。
同校初出場となった甲子園で、古木は2年生ながら長崎南山高との初戦で9回に同点弾。延長12回に決勝弾と1試合2発を放ち、一気に全国区のスラッガーへとのし上がった。
「注目されて大変なことはなかったんですけど、よりホームランを打ってやろうと思い始めました。甲子園のときに50本近く打っていたのですが、小さい頃からの憧れだった清原和博さんの64本をなんとか超えたいと思いました。もっと打ってやろうと打撃フォームを改造しているうちに、自分に合わない方向に進んでいきました」
当時は動画もなく、中継を見ながら清原のスイングをマネしていたが、西武の放送が少なかった。見られる機会の多い巨人戦から、同じ左打ちの清水隆行のスイングも参考にした。「高校生で打撃の真髄も知らなかったので、悪い方向にでてしまいました。3年生になったときは、まったく自分の打撃がまったくダメになり、一番苦労しました」。
1度崩れた打撃は感覚を取り戻すことができなかったという。「プロに入っても戻らないで、そのまま苦しみました。なんだか分からないまま、プロ生活も終わってしまたという感じです。僕の中では高2のときが一番よかったかな」。
「自分が甲子園に出てホームランを打ったことは何とも思っていない」
「1980年生まれ」のいわゆる松坂世代。日本中の高校生が打倒・横浜高、打倒・松坂大輔を目標に掲げていたが「僕はまったくやりたくなかったです。それこそ打撃も本調子でなくなったし、打てる自信はまったくなかったので」と苦笑いで告白した。
豊田大谷高3年時にも甲子園に出場。村田修一を擁する東福岡高、古豪・宇部商(山口)、前年度優勝の智弁和歌山高、エース・和田毅が率いる浜田高(島根)を破り4強入りを果たした。準決勝で京都成章に敗れたが、大会を通じ古木氏も1本塁打を放っていた。
甲子園で堂々の戦績を残したが、聖地で得たものについては「実際に甲子園に出たので分からないんです。出られなかったら存在の大きさを感じていると思うのですが……」と真剣な表情。さらに「自分が甲子園に出てホームランを打ったことは何とも思っていないです。清原さんを目標にしていて、そこに及んでいないのに偉そうに語る意味が分からないと思っています」。独自の価値観を語った。
「もちろん、甲子園に出ることはすごいと思います。今でも『甲子園で活躍して……』と言ってもらいますけど、逆に恥ずかしいです。プロで成績を残しているわけでないので。栄光を讃えてもらうのですが、それ以上にすごい人たちはたくさんいるし、プロで活躍しなかったから、甲子園でのことをフォーカスされる。どうしても恥ずかしいと思ってしまうんです」
NPBでは通算11年間プレーし537試合に出場し打率.247、58本塁打、150打点だった。決して満足している数字ではない。それだけにプロでの経歴ではなく、高校野球での実績を注視されることに、歯痒さを感じている。
(湯浅大 / Dai Yuasa)