ユニに縫い付ける遺骨「野球で恩返し」 滋賀学園の左腕、母とともに立った甲子園
大阪、沖縄出身の選手が多い滋賀学園
第106回全国高校野球選手権大会は19日、準々決勝4試合が行われ、第2試合に臨んだ滋賀学園は青森山田に0-1で惜しくも敗れた。背番号10を背負い、ブルペンから戦況を見守った高橋侠聖投手(3年)は、メンバーで唯一の県内中学からの進学。「滋賀県の選手がこうやって頑張ってるんだぞというのをアピールできたらと思っていたので、そこはとてもうれしい」と胸を張った。
今大会は有田工(佐賀)との初戦で救援登板。5回1/3を2失点(1失点)に抑え、チームの勝ち越しを呼び込んだ。準々決勝では、ブルペンで肩を作ったが、出番は回ってこなかった。
チームは今大会、花巻東(岩手)、霞ケ浦(茨城)を破り初の夏の甲子園8強を決めた。チームは毎年、大阪や沖縄を中心とした県外からの進学者が多い中で、県内の中学校から進学して今回ベンチ入りしたのは高橋侠だけだった。
県外出身者が多いチームに対し、様々な意見があるのはわかっている。「周りからは滋賀学園には『滋賀県出身がいないから〜』とかいろいろ言われることもあるんですけど、自分が活躍することで、滋賀県の選手がこうやって頑張ってるんだぞというのをアピールできたらと思っていた」。脇本の好投もあって出番は少なかったが、自分がベンチに入ってチームが躍進したことは誇りに思っている。
亡くなった母の遺骨を胸にプレー
高橋は5歳の時、母の千穂さんががんで亡くなった。「野球で恩返しするというのが、約束にしていたことだった」。野球をプレーする際にはいつも、遺骨の入ったペンダントをユニホームの裏側に縫い付け、一緒に試合に臨んでいた。
「もう一個上に行って、いい報告をしたかったなと思います」。目標にしていた日本一には届かず、母を思い声を震わせた。
自らのレベルアップのため、寮生活ができる滋賀学園を選択。中学時代のチームメートとはあえて別の学校を選んだ。「自分の中で甘えが出てしまうと思った」。母と約束したプロ野球選手という夢のために自らを厳しい立場に置いた。
もともとは外野手だったが、2年の夏に打診され、少し経験のあった投手に転向。3年夏の滋賀大会では1番を背負うまでに成長した。「最後は登板なく負けてしまいましたけど、やり切った感はあります」。すがすがしい表情で、堂々と地元に帰る。
(上野明洸 / Akihiro Ueno)