元阪神助っ人、確信していた日本での成功「50HR打っていた」 “違い”に戸惑いも訪れた覚醒

阪神時代のセシル・フィルダー氏【写真提供:産経新聞社】
阪神時代のセシル・フィルダー氏【写真提供:産経新聞社】

1989年に阪神でプレーしたフィルダー氏は106試合で38本塁打を放った

 セシル・フィルダー氏は1989年に阪神でプレーし、106試合で38本塁打を放ちながらも1年で日本を去った。メジャーでは1470試合で1313安打、319本塁打を誇る元助っ人が米ポッドキャスト番組「The Brett Boone Podcast」に出演し、異国で直面した困難について回顧した。

 ブルージェイズで1985年にメジャーデビューし、1989年に阪神入りした。当時は「私が日本に行くと、出だしは苦しんだよ。なぜなら文化が違っていたからね。私はそこに1人でいて、家族もまだいなかった」と苦労していたことを明かす。

「しかし、私はいつでもいい打撃をしてきたから、(打撃は)全く問題になったことはない。日常的にプレーすれば、うまく行き始めることはわかっていた。だから384打席で38本塁打を放った。(シーズン途中で)手を骨折してしまったからそこでシーズン終了となってしまったけど、もし出場し続けていれば、50発は打っていただろう」

 シーズン終盤の9月に骨折した影響でその後の出場はかなわず、タイトルも逃した。1990年からはメジャー復帰したためわずか1年のNPB生活だったが、ファンの記憶に残る助っ人だった。

(Full-Count編集部)

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