巨人主砲に絞められ失神寸前 予測していた助っ人の“報復”にブチギレ…死闘だった殴り合い
1996年5月1日、山崎武司氏は巨人ガルベスと大乱闘…投球が顔付近に飛んできた
元中日、オリックス、楽天の山崎武司氏(野球評論家)は、中日時代のプロ10年目(1996年)に本塁打王のタイトルを獲得した。長い下積み時代を経て、ついに覚醒したが、有名な巨人のバルビーノ・ガルベス投手との乱闘劇もこのシーズンに起きた。内角危険球を投げられて激高。パンチを食らいながらもヘッドロックで応戦したが、両軍ナインも飛び出し、もみくちゃ。巨人の主砲に首を絞められて「落ちそうになった」などと“事件”を回顧した。
1996年の山崎氏は好スタートを切った。4月5日の広島との開幕戦(広島)には「6番・左翼」でスタメン出場し、2回に大野豊投手から1号先制2ランを放った。「あれは大野さんに今でも言われますよ。自信があったシンカーを打たれたのはショックだったってね」。球界を代表する左腕からの一発で気分も乗ったようで4月は打率.333、7本塁打の成績を残した。その中には霊感が強いと言われる中日・落合英二投手の“お告げ”によるホームランもあったそうだ。
「英二が『これです』って言ったバットで打ったヤツね。(この年だけでなく)英二のお告げでは何本か打ちましたね。英二に『初球は何来る』と聞いて、それを狙って打ってホームランになったこともある。まぁ“信じるものは救われる”ってことかな」と山崎氏は笑ったが、そういうものも含めて、いい流れがやってきたということだろう。そんな好調モードの時に起きたのがガルベスとの一件だ。
1996年5月1日のナゴヤ球場での巨人戦、5回裏だった。0-6と中日が負けている展開で、先頭打者の「6番・左翼」の山崎氏に対してガルベスの速球が一直線で顔付近に来た。よけようとしても間に合わず、ボールは頭部をかすめて、山崎氏は背中から倒れ込むしかなかったが、すぐに起き上がり、怒りの表情でマウンドに歩み寄った。すると、ガルベスもマウンドから打席の方へ歩き出し、殴ってきたからもう止まらなくなった。
両軍もみくちゃで首絞められ…「誰かと思ったら落合さんでした」
両軍ナインも一斉にグラウンドに飛び出しての大乱闘劇となったが、こうなることを山崎氏は中日ナインに予告していた。その前の5回表に中日・小島弘務投手が巨人・落合博満内野手の左肩付近に死球を与えた。抜け球ながら、よけなかったら頭に当たっていても不思議ではない“危険球”。これに山崎氏は「お返しが次の回の先頭の俺に必ず来ると思った。だから『その時は(マウンドに)行きますからね』ってベンチで言って打席に向かったんです」という。
「そしたら案の定、頭を通してきたからね。それでタイマン勝負になった」。ガルベスが殴りかかってくるのも想定していたそうだが「右利きだから、右で来ると思ったら左(のパンチ)が来たんですよね」と苦笑する。「でも大丈夫でしたよ。(パンチを食らって)口の中は切れたけど、全然意識もあったしね。で、こっちもいったれぇって、俺は(ガルベスに)ヘッドロックしたんですよね」。そこからは両軍ナインも集まり、もうもみくちゃになった。
「後ろからガガガって、今度は俺がヘッドロックされて首を絞められたんですよ。誰かと思ったら落合さんでした。でも、あの時はやばかったですよ。俺、落ちそうになりましたもんね」。“3冠男”落合は1987年から1993年まで選手として中日に在籍。1993年オフに巨人にFA移籍したが、まさかそんな大先輩と“バトル”になるとは思ってもいなかっただろう。山崎氏は必死になって“オレ流ヘッドロック”を振りほどいて「何とか助かった」そうだ。
ガルベスとともに退場処分を受けた山崎氏だが、気迫満点、闘争心むきだしの姿もまた当時話題になった。その上、ホームランを量産しはじめるなど、バットの方でも力強いものを見せつけるようにもなったのだから、すごいタイミングでもあった。「やられたら、やり返そうと思って、ああいう感じになっちゃったんですけどね」。打率.322、39本塁打、107打点と覚醒シーズンとなったプロ10年目。ガルベスとの戦いは、その年の外せないエピソードのひとつだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)