“飛んだ”左肘…体から離れていく感覚「デロンデロン」 球速激減、戦力外25歳の壮絶体験
鷹を戦力外となった佐藤宏樹…入団前から左肘のトミー・ジョン手術を受けた
ソフトバンクの佐藤宏樹投手が7日、みずほPayPayドームを訪れて球団から戦力外通告を受けた。「怪我して入ってから怪我で終わってしまうような4年間でした」。慶大時代から、潜在能力は高かった。しかし、入団前から左肘を2度、手術するなど、壮絶な野球人生を歩んできた。忘れられないのは、大切な肘が“飛ぶ”感覚だった。
入団した時から、大きな“ハンデ”を背負っていた。慶大4年だった2020年4月、左肘を手術した。8月に、ようやく迎えた復帰登板。「1イニング目は147、148キロとかが出て、2イニング目に思い切り腕を振ったら後ろに飛ぶような感覚だったんです。痛くないんですけど、もう130キロとかしか出なかった。靭帯が切れていました」。ドラフト会議を前にして、秋のリーグでアピールするつもりだったが、叶わなかった。肘はもう「限界だった」と、自分でも認めるしかなかった。
肘の靭帯が“飛ぶ”。一般人にはなかなかない経験で、佐藤宏も「自分は投げる時にグンって、腕が一緒に後ろに離れていく感じですね。肘にストッパーがなくて、デロンデロンになる感じです」。
投球動作の中で、トップの位置からリリースに移行する瞬間がある。体重は捕手側に移動しているのに、肘だけがついてこないような感覚だった。生活の中でも「ずっと痛かったです。シャンプーも痛いし、自転車に乗っている時にちょっと揺れても痛い。電車の吊り革も掴めないし……」。長期のリハビリ生活に突入した。
2020年10月26日に、運命のドラフト会議を控えていた。トミー・ジョン手術を終えたばかり。左腕の胸中は揺れていた。「一人暮らしの家も探していました。狭いのに(家賃は)高いですよね」と笑って振り返る。慶大からも「サポートをしてもらうと話もしていたんです。練習施設やトレーナーを使ってもいい、と。親にも『浪人するかもしれない』と話はしていました」と言う。周囲の方々と相談した結果、最終的に育成指名も受け入れて、プロ入りする意向を固めた。育成1位で指名したのが、ソフトバンクだった。
2021年は試合で登板することはできなかった。2022年も、2軍では2試合登板のみ。育成選手は3年目のシーズンを終えれば1度、自動的に戦力外となるだけに、2023年が勝負の年だった。「もう手術したことは関係ない。どの道3年目、4年目になってきたらその(手術をしたという)“ビハインド”はない。あとは結果を出したやつが上がる世界。そういうことは考えないようにしていました」と、決意は固めていたはずだった。
2023年は2軍でも2試合登板…選手層に阻まれて「自分どこで投げるんだろう」
待ち受けていたのは、育成選手ですら分厚い選手層だった。ウエスタン・リーグで1試合に出場できる育成選手は5人まで。開幕した時点で支配下の枠も「3」しか空いておらず、佐藤宏も「2軍に呼ばれても投げる機会がなかったりして、自分を追い詰めて、フォームとか感覚がわからなくなる時期がすごくありました。3年目、ここでやらないとクビだなって思いがあった」。節目のシーズンになることはわかっている。自身のことをネガティブだと表現する左腕にとって、重圧はプラスに働かなかった。
「自分の悪いクセでもあるんですけど、試合で投げるたびに、1球抜けてボールだったら『またか』って周りの目を気にして投げていました。球速が出ていなかったら『あれ、出ていない』って思われる。自分でも感じるギャップがあって、前の良かった感覚が出てこないのが、すごく苦しい3年目のシーズンでした。考えすぎてきた人生ですし、周りからも言われます。悪くなっちゃうとダメだ、ダメだとなってしまうので。4年目の今年は前向きな気持ちで投げていけたらと思っていました」
チャンスは限られているからこそ、周囲の評価や目線を気にしてマウンドに立ってしまっていた。結果的に、2023年はウエスタン・リーグでも1試合登板に終わった。「自分的には入る隙間がなかった。椎野(新)さん、古川(侑利)さん、その時は又吉(克樹)さんもいたし。その時が一番、『自分はどこで投げるんだろう』って感じでした。また投げないだろうなって」。前だけを見て調整するのは変わらなかったが、支配下登録への距離感を一番リアルに感じているのは、佐藤宏自身だった。
育成として、2024年は4年目のシーズンとなった。戦力外を受けた10月7日の時点でもリハビリ組の管轄で「ずっと怪我して入ってから怪我で終わってしまうような4年間でしたね。今年が勝負という覚悟だったので、正直、怪我した時にはもう終わってしまうのかなと薄々思いながら。限りなく低い可能性を信じてリハビリしていましたけど。(戦力外は)驚きは別にしなかったかなって感じはあります」。痛めた脇腹は、最後まで響いてしまった。「もう終わりです」と弱音を吐いたこともある。自然と戦力外通告を受け入れる覚悟はできていた。
今後は現役続行のために、道を模索していく予定。同じ慶大出身の柳町達外野手、正木智也外野手、廣瀬隆太内野手の存在には「嬉しい反面、自分にもすごく『お前も頑張れ』と言われているようでした。周りからの期待だと思うんですけど、すごく苦しかった時もあるし。活躍してるのも嬉しいなって思いながら見ている時もあったし、頑張ってほしいですね。こうなってしまった以上……」。1軍に4人で並び立つ夢は叶えられなかった。佐藤宏自身、これまでの決断に後悔はない。それでも、もう1度だけ、思い切って野球がやりたい。
(竹村岳 / Gaku Takemura)