巨人戦後に2軍落ち→指揮官に伝えた引退 ノムさんがまさかの暴露…余儀なくされた会見

元中日・山崎武司氏【写真:山口真司】
元中日・山崎武司氏【写真:山口真司】

山崎武司氏は27年目の2013年限りで現役引退…新人の大谷翔平から二塁打を放った

 豪快なアーチでファンを沸かせた山崎武司氏(野球評論家)は、2013年限りで現役引退した。1986年ドラフト2位で中日に入団。オリックス、楽天を経て最後は中日に戻って27年間のプロ選手生活の幕を閉じた。2013年7月26日の巨人戦(ナゴヤドーム)に代打で空振り三振。試合後に2軍落ちを通達されて、高木守道監督に「辞めます」と申し入れた。正式発表はシーズン終盤予定だったが、思わぬことでバレてしまい、7月29日に会見となった。

 山崎氏は中日復帰後1年目の2012年に1度はユニホームを脱ぐ決意をした。だが、周囲の「辞めるな、頑張れ」の声に踏みとどまり、2013年は「結果がでなければ辞める。自分の中でケジメをつける線引きは決めていた」という。厳しい戦いが予想された中、やれることはやり切り、開幕1軍に残った。だが、開幕スタメンはならなかった。初出場は2戦目の3月30日のDeNA戦(ナゴヤドーム)での代打(三ゴロ併殺打)。打撃の状態はあまりよくなかった。

 主に代打で出場して7打数1安打。4月8日に登録抹消となった。それでも懸命に調整し、交流戦開始の5月14日に再登録された。腹をくくっていた。「次に2軍落ちしたら、引退しようと思っていた」。気迫満点で1軍昇格した日の日本ハム戦(ナゴヤドーム)では、2-3の6回に代打で出て同点の三塁打。5月17日の楽天戦(ナゴヤドーム)では、2-3の9回1死二、三塁で劇的な代打逆転サヨナラ打を放った。

「楽天戦は意地ですよね。あの時はちょっとばかり、(楽天監督の)星野(仙一)さんを見返せたかなと思いましたね」。2011年に星野監督からの引退勧告を拒否して現役続行を選択。様々な思いがこもった一打は、44歳6か月のセ・リーグ最年長サヨナラ打でもあった。さらに「7番・指名打者」で出場した6月1日の日本ハム戦(札幌ドーム)では、大谷翔平投手から二塁打。2022年に45歳1か月の中日・福留孝介外野手に抜かれるまでセ・リーグ最年長二塁打だった。

 今をときめく大谷は当時ルーキーで、その日の中日戦でプロ初勝利をマークした(5回3失点)。「大谷も球は速かったけど未熟な時。まだまだひょろひょろっとした感じだった。だけど、いずれ球界を背負っていくであろう若い選手たちと対決するのはうれしかったし、毎回楽しみだった。ベテランになると、そういう喜びもあったんですよ。まぁ、大谷と対戦したのは講演会でいつも自慢して言っていますけどね」と笑みをこぼした。

野村克也氏が講演で漏らした引退…早まった引退会見

 そんな形で交流戦を乗り切った。インパクトのある活躍も見せた。だが、レギュラーを奪い取るまでには至らなかった。そして運命の7月26日の巨人戦がやってきた。5回の得点機に空振り三振。試合後、2軍落ちを通告された。山崎氏は高木監督のところに行って「『今シーズン限りで引退します。でも2軍でちゃんと調整して1軍に上がってこれるように頑張って最後までまっとうするのでよろしくお願いします』と言いました」。それがケジメだった。

「高木さんはその日のジャイアンツ戦に(3-6で)負けて、チンチンだったんでしょうね。『あっ、そう』って言われましたけどね。らしいですよね」と山崎氏は笑う。「そのまま球団の方とも話をして『引退発表はシーズン終わりくらいでいいので、頑張ってやります』と伝えていた」という。だが、その“計画”は崩れた。引退決意からわずか3日後に名古屋市内で引退会見を行うことになった。これについても山崎氏は笑顔でこう説明した。

「(元楽天監督で恩師の)野村(克也)さんに『辞めることになりました』と報告したんですけど、ちょうど野村さんは名古屋で講演をやっていて、そこで「実は山崎から電話があって……」と話をされたそうなんです。それをある記者が聞いていて家に来たんですよ。『辞めるんですか』って。『いや別に決めてないよ』と答えたら『野村さんが言ってましたよ』と言うので“ありゃあ”となって、しゃーないから会見することになったんです。あれ、野村さんのせいなんですよ」

 9月7日に1軍再登録され、シーズンを駆け抜けた。試合後に引退セレモニーが行われた10月5日の最終戦(DeNA戦、ナゴヤドーム)は「4番・一塁」で出場。3回の第2打席目で、三浦大輔投手から現役ラスト安打となる中前打を放った。「先っぽだったけどね。本当はその2打席で終わる予定だったんですよ。だけど、谷繁(元信捕手)とベン(和田一浩外野手)が来て『最後まで出よう』ってあおられて……。あの試合、延長戦になったんですよね」。

 延長10回の第5打席が公式戦最後の打席となった。ホルヘ・ソーサ投手のスライダーを空振り三振。3年目のプロ初打席は1989年9月7日の広島戦(広島)で、川端順投手の前に三振。最後も三振だったのも豪快スイングの山崎氏らしいのかもしれない。試合は延長11回3-4。「もうフーフー言っていました。その後のセレモニーのことも考えないといかんし、もう大変でしたよ。でも晴れやかな気持ちでした。すがすがしく引退させてもらいました」。

 引退スピーチでは中日ファンへの感謝の言葉などとともに、あえてナゴヤドームから「(東北大震災の)被災者の方々から本当に温かい応援をいただき、生きる力、諦めない心を教えていただきました。東北の方々にはこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました」と声を張り上げた。「僕を生き返らせてもらったのは東北だし、その恩は一生忘れてはいけないと思ったのでね」。それもまた義理と人情を大事にする山崎氏らしい部分だった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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