「戦力外ですよね?」異例の再確認 球団幹部も“動揺”…重苦しかった部屋の空気

引退会見に臨んだ石川雄洋氏【写真提供:産経新聞社】
引退会見に臨んだ石川雄洋氏【写真提供:産経新聞社】

石川雄洋氏は1軍出場機会をもらえず2020年オフに戦力外となった

 横浜、DeNAで16年間プレーした石川雄洋氏は、2020年をルーキーイヤー以来となる1軍出場機会なしで終えるとオフに戦力外を通達された。現役続行を希望したがNPB球団からのオファーは届かず、2021年の開幕前に現役引退を発表。「これで終われる」と当時の心境を明かした。

 結果としてプロ最終年となった2020年は「状態は良かったんです」と振り返る。春季キャンプはマイペース調整を認められての2軍だったが、首脳陣に状態をみせる意味で開幕前に1軍でのプレー機会は予定されていたという。

「練習試合で呼ぶ、という報道も見ていた。でも呼ばれなかったので、もうないのかなと」

 前年の2019年は開幕1軍を逃したが、4月にチームが10連敗を喫したタイミングで昇格。即スタメンで決勝2ランを放つなど、まだまだ頼れる存在だと示していた。しかし翌年は「連敗したタイミングでも呼ばれない。なんとなく今年は無理かもなと思った」。新型コロナウイルス感染拡大で変則日程となり、チーム編成に影響を及ぼしていたかもしれなかった。

 2軍でひたすら練習する日々に「心が折れそうなことは何度もありました」と告白する。しかし「ファームは若い選手が多いので、ファームにいるときこそしっかりやらないといけないと思っていた。2軍でも試合に連れて行ってもらえない機会も増えたので、キャンプの特守みたいに40、50分ノックを受けたこともありました。野手が少なかったので長めに打ったりもしていました」。

 この先も1軍に呼ばれない予感を覚えつつも、2軍で気持ちを切らさずに汗を流す姿勢を貫いた。それこそが「最後の僕のやることじゃないかと思った。やるべきことはそういうところじゃないかと思った。呼ぶと言われていたのに、呼ばれないのはけっこうキツかったですけどね」と当時の心境を振り返った。

元DeNA・石川雄洋【写真:湯浅大】
元DeNA・石川雄洋【写真:湯浅大】

NPB球団のオファー届かず引退決意「やれることはやったのかな」

 秋になって球団から呼び出しの連絡が入った。そこまで1軍での出場機会はなし。「あ、もう終わるな、みたいな」。腹は括っていた。

 部屋に入ると重苦しい雰囲気のなか、三原一晃球団代表が語り始めた。しかし、緊張の面持ちで話し続けた三原代表の口から「構想外」「戦力外」といった具体的なワードが出てこなかった。DeNAの初代主将で、16年目の生え抜き選手への通達とあって「三原さんも緊張していたのかもしれません。僕に気を遣って遠回しに伝えてくれていたのかもしれないけど、戦力外だとはっきりと言わなかったから分からなかったんです」。

 話を終えた石川氏は同席した別のスタッフに「あれって戦力外のことですよね?」と確認したほど。後日、改めて話し合いの場が設けられて「(戦力外を)確認した。最初に呼ばれた時点で分かるんだけど、その時の話で繋ぎ止めていたものが切れたみたいな感じになりました」。現実が重くのしかかってきた。

 球団職員としての第2の人生を打診されたが「その年は1軍で1度も勝負できていなかった。体も動いていたので」と練習を続けながらNPB球団からのオファーを待つことに決めた。当初は翌年の春季キャンプをボーダーラインとしたが、「キャンプ中の怪我があるかもしれない。招待選手もでいいから」と先延ばしにした。

 キャンプ中も声はかからず、開幕1週間前まで期限を伸ばした。「社会人から話をもらいましたが、NPBが希望でした。でも、オファーはなかったのできっぱり諦めることにしました。もう自分がやれることはやったのかなと。その間もいろんな人が練習の手伝いに来てくれました。やり切った感はある。しんどかった分、これで終われるという気持ちでした」。

 ベイスターズ一筋16年。暗黒時代を戦い、DeNAの初代キャプテンを務めた石川氏は通算1169試合に出場し、1003安打で打率.256、23本塁打、224打点、118盗塁、162犠打の成績を残し、静かに引退を発表した。内なる闘志を秘め、攻守にわたる献身的なプレーで仲間から慕われ、ファンから愛された無二の存在だった。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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