現役引退→異例のアメフト転向も2年で断念…残る「未練」 DeNA初代主将の“現在地”

元DeNA・石川雄洋氏【写真:湯浅大】
元DeNA・石川雄洋氏【写真:湯浅大】

2020年シーズンで現役引退した石川雄洋氏は2021年5月にアメフト転向を表明

 ベイスターズ一筋で16年間プレーした石川雄洋氏は2020年シーズン限りで現役を引退。翌2021年5月にアメリカンフットボールの社会人リーグに所属する「相模原ライズ」に入団した。しかし2023年1月に父・幸夫さんの看病(同年4月に死去)に専念するために引退を決意。チームの幹部からは休部扱いで秋に戻ることも提案されていたという。現在も「未練はある」と語る石川氏。その思いをFull-Countのインタビューで語った。

 横浜高時代からアメフト漫画「アイシールド21」を愛読。同校にもアメフト部があり、高校野球引退後も友達の応援にいくなど好きなスポーツだった。プロ野球引退後、知人を通じて相模原ライズの関係者と話す機会があり、チーム自体も異競技からの挑戦者への門戸を開いていることから受け入れてもらえることとなった。

「まずは体をつくるのがきつかった。77キロで入って、筋肉だけで86キロくらいまで増やしました。筋トレも大変だったけど、ミーティングも大変でした。とにかくサインプレーの数が多い。動きも全く知らないところからのスタートだったので。立ち位置とか、QB(クォーターバック)からの指示も英語。覚えるのも大変だし、QBが外国人なら聞き取りも大変でした」

 華のある野球界からの転身。石川氏の挑戦を面白くない、と感じる同僚もいたはずだった。「みんな最初そう思っていたんじゃないかな。そんなの当たり前だと思った。でも自分がちゃんとやっていれば認めてもらえると。認めてもらうためにやるわけではないけど、やるしかない、という気持ちでした」。

 入団後、9月の開幕戦ではいきなりWR(ワイドレシーバー)として出場。ロングパスをキャッチするなど存在感を示した。徐々にチームに馴染んでいった。しかし、2年目を迎えた2022年の秋、幸夫さんの胆のうがんが見つかり、他の部位にも転移していたことがわかった。

「好きなことを好きなように生きてきた人生」

 練習をやりながら東京と実家のある静岡を往復する日々が続いた。幸夫さんの病状は重く、石川氏は2023年1月にアメフト引退を決意した。チームを離れて、看病に専念する前には幹部から休部扱いで、秋のリーグ戦からの合流を提案されていたが断っていた。

「アメフトをやるときに中途半端な気持ちでいっていなかった。そんな気持ちでできるスポーツでもないので」。看病とアメフトのどちらも100%という状況での両立はできない。それならば父の側にいることを最優先とした。同年4月、石川氏に見守られ、幸夫さんは亡くなった。

「もし自分がアメフトの10年選手だったら戻っていたかもしれないです。でも始めて2年くらい。経験値があるわけでないので、落ちるのも早いと思った。それだったら中途半端になるので辞めることにしました」  

 アメフトでは自分の向上を実感していただけに「未練はある」と振り返る。「野球よりも若い子が多い。自分はそのとき37歳になる年でした。やろうと思えばできたのかもしれないけど、それで若い選手がメンバーから外れちゃうのもよくないのかなと」。

 アメフトを引退し、現在は野球の解説者やDeNA時代の同僚、西森将司氏が指導する中学生の硬式野球チーム「横浜パイレーツ」でコーチも務めている。「コーチとかまったく興味なかったけど、子どもたちに教えていて、のめり込んでいる自分がいる。成長は早いし、うまくなっていくのが分かる。野球はどこか敬遠していた感じはあったけど、年齢も重ねて思考も変わってきている。野球いいな、と。やるよりも、教えるのがいいかな(笑)」。

 DeNAの引退セレモニーでは、幸夫さんの直筆で「自分らしく生きろ!!」と書かれたボールをプレゼントされた。「よくこれからどうなりたいのか聞かれるんですけど、好きなことを好きなように生きてきた人生なので。未来を見るというよりは、1日1日を楽しく生きている感じです」。勝利への執念が溢れるプレーで周囲から慕われた石川氏。これからも自分らしく“今”を生きていく。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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