支配下指名なのに…まさかの入団保留 「ひたすら考えたい」25歳が吐露した“迷い”
ロッテから6位指名も“保留”…「人生の1番大事な分岐点」
考え抜いた末の“吐露”だった。「2024年 プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」が24日に行われ、日本生命・立松由宇(ゆう)内野手がロッテから6位指名を受けた。野球人が夢に見るドラフト指名を受けたが「人生の1番大事な分岐点だと思うので、自分の素直な気持ちを見つけるまでは、ひたすら考えたいです」と“保留”する考えを明かした。
自分の名前が呼ばれるとは思ってもいなかった。立松は藤代高から立正大に進学し、4年次にはベストナインを獲得。日本生命に入部後は、日本選手権で優秀選手にも輝くなど結果を残してきた。それでも、プロからの調査書はロッテのみ。それだけに「正直、社会人4年目なので期待はしていなかったですけど、評価してもらったことはありがたいです」と素直な心境を語ったが、プロの世界へ歩み出すことを即決はできなかった。
昔から夢は「プロ野球選手」だった。千葉県で生まれ、ずっと試合を見て育った憧れの球団からの指名に心は動いていた。しかし、「人生の1番大事な分岐点だと思うので……。自分の素直な気持ちを見つけるまでは、ひたすら考えたいです」と夢への扉を目の前に“保留”を決意した。
さらに「人生を考えた時に(日本生命で)昇給が近いというのもありますし……、すごく良い施設で野球をやらせていただいているので。(プロに行かなくても)好きな野球が続けられるというところに関しては迷う要素になります」と、1か月以上考え抜いた堅実な理由を打ち明けた。
質問には全て「保留とさせて下さい」
プロでの目標や対戦してみたい選手など、プロ野球の世界に進むことが前提となる質問には全て「保留とさせて下さい」と明言を避けた25歳。時折、笑顔を見せながらも、申し訳なさそうに回答するその表情からは、熟考して来た日々と本気度が伺える。
それでも本当は野球を続けたい理由もある。実は大学を最後に野球を辞めようと考えていた立松。そんな時、支えとなってくれた家族との秘話を明かしてくれた。
立松には1999年(平成11年)2月2日、“いい双子の日”に1分差で生まれた弟がいる。「1分の弟」そう呼ぶ弟の峻さんとの「ある1日」が忘れられないと話す。高校時代には同じ学校で共に甲子園を目指したが、肩を手術して上のステージで野球ができなくなった峻さん。だからこそ、兄には続けて欲しかった。兄弟2人きりになった際、熱い思いを涙ながらに語る弟の姿に心を打たれ野球を続けようと決意した。
「家族3人の言葉がなかったら指名されることもなかったので感謝したいです」。嬉しそうに話す姿からは家族思いの性格が伝わる。家族のために、自分のために、さらなるステージに挑んでみたい気持ちもゼロではない。
社会人生活4年目ともなると、野球以外の生活も見えてくる。1年後の生活すら保証されない厳しいプロの世界。大手企業で働くことができる現実を手放すのも勇気がいることだ。「どれくらいに結論を出すかは考えていません。期間を設けるというよりは、考えがバチっとハマった時に答えを出したいと思います」。人生の分岐点に立つ25歳は、悩みながらも落ち着いて未来を見ている。
(木村竜也 / Tatsuya Kimura)