“嫌われていた”監督に猛反論「新庄は茶髪」 コーチ大焦りの事件「2軍に落とす」

阪神時代の川尻哲郎氏【写真提供:産経新聞社】
阪神時代の川尻哲郎氏【写真提供:産経新聞社】

川尻哲郎氏が生やしたあごひげ…野村監督が問題視

 1999年、阪神監督には前年の1998年までヤクルト監督を務めた野村克也氏が就任した。元阪神投手の川尻哲郎氏は開幕2戦目の巨人戦(4月3日、東京ドーム)に先発。7回3失点で勝利投手となり、野村阪神の1勝目に貢献した。だが、良かったは4月だけで、5月以降は白星から見放され、2軍落ちも経験した。おまけに、指揮官との間で“ひげ問題”まで勃発していた。

 阪神が野村体制となった1999年、川尻氏は4月を3勝0敗と好スタートを切った。4月3日の開幕2戦目・巨人戦に7回3失点で勝利投手となって野村監督に“阪神1勝目”をプレゼント。4月18日のヤクルト戦(福岡ドーム)では5回3失点で2勝目を挙げ、4月25日のヤクルト戦(甲子園)では4安打完封勝利で3勝目をマークした。だが、この年は開幕から状態が決して良くなかったという。「(4月は)調子が悪いなりに抑えていただけだと思います」。

 5月以降は険しい戦いが続いた。白星がつかめなくなった。6月12日の巨人戦(甲子園)では、6回1/3を3失点で勝ち負け関係なし。延長12回に阪神・新庄剛志外野手が敬遠球を打ってサヨナラ勝ちした試合で「負けている時に代わって、負け投手かなと思ったら、あんなふうになったんでしたよね。最後は誰が先発なのかわからないくらい長いゲームで……」。6月26日のヤクルト戦(神宮)では4回6失点でシーズン4敗目を喫し、2軍再調整となった。

 そこから約2か月、2軍生活が続いた。「ファームで投げて、調子が良くても上げてもらえなくて、結構嫌な思いをした。“上げてくれよ”と思ったけど、全然、上がらなくてね。ノムさん(野村監督)は僕にちょっと怒っていたんじゃないですかね」。その間に起きていたのが“ひげ問題”だ。野村監督は選手の茶髪、長髪やひげを嫌っていたが、川尻氏はあごひげを生やしていた。

コーチに諭され剃ったひげ…野村氏に「あまり好かれていなかった」

「開幕の時から生やしていたんですけど、もともと薄いんでね。それに4月は勝っていたから、しょうがないな、みたいな感じだったんじゃないですかねぇ」。その後、ひげを剃るように言われていたそうだが、従っていなかった。不調で2軍落ちしてからもひげは継続。9月に1軍復帰した時もそのままの状態だった。「そしたら、コーチを通じて『監督が呼んでいるぞ』って言われたんです」。

 川尻氏は監督室に向かった。そこで一悶着があった。「(野村監督に)『よろしくお願いします』と挨拶したら、『お前、ひげは駄目だろ』って言われたんです。それで僕は『監督、でも新庄は茶髪ですよね』」と言ったわけですよ。監督は『あれはなぁ……』とか何かごちゃごちゃ言っていましたけど、それを見た(バッテリーコーチの)黒田(正宏)さんと(ヘッドコーチの)松井(優典)さんが『川尻、ちょっと来い』って監督室から連れ出されたんです」と明かした。

「(黒田コーチと松井ヘッドの)2人に『頼むから剃ってくれ』と言われました。『だっておかしいでしょ』って言ったんですけど、“そうじゃなかったら今からファームに落とす”みたいなことも言われたし、せっかく(1軍に)来たのに、それはねーなと思って『しょうがない、剃りますわ』と言って試合に入りました。そんなことがありましたねぇ……」

 この年はとにかく白星が遠かった。9月18日のヤクルト戦(神宮)は6回2失点でシーズン5敗目。9月26日の中日戦(ナゴヤドーム)は7回2失点、10月6日の中日戦(甲子園)は7回1失点と好投を続けたが、勝ち星からは見放された。プロ5年目、1999年の川尻氏は4月の3勝だけの3勝5敗、防御率4.52でシーズンを終えた。「たぶん、ノムさんにはあまり好かれていなかったんじゃないですかねぇ」と苦笑しきりだった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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