151キロ右腕の教えで“小1激変” 野球人生で「初めて」…貯金ゼロで作った米国流塾

「Be an Elite.」で指導する松本憲明氏【写真:本人提供】
「Be an Elite.」で指導する松本憲明氏【写真:本人提供】

メジャーの夢破れた松本憲明氏…米国式野球アカデミー立ち上げた“出会い”

 1人の少年との出会いで未来が変わった。現役時代は最速151キロの投手で、引退後は愛知・名古屋市で米国式野球アカデミー「Be an Elite.」を立ち上げた松本憲明さんは、ネクストキャリアに外資系スポーツメーカーへの就職を考えていた。ところが、野球に対する考え方が変わる経験によって指導者の道へ方針転換したという。

 プレー以外で野球と関わるとは想像もしていなかった。愛工大名電で甲子園に出場した松本さんは、東洋大1年時にトミー・ジョン手術を受けて翌年に退学。その後、独立リーグの徳島インディゴソックスを経て、メジャー挑戦のために米国へ渡った。

 米国では今までの考え方やプライドを捨てて勝負をかけた。直球の最速は143キロから151キロまで上がり、手応えをつかんだ。だが、トライアウトに合格できず夢は破れた。

「自分にできることは全てやって、目標にしていた球速150キロにも到達しました。トライアウトで結果を出せなかったら日本に帰ると決めていました。やり切ったので悔いはなかったですね」

 米国に9か月間滞在した松本さんは、ネクストキャリアに外資系スポーツメーカーを描いていた。アルバイトをしながら就職に必要な英語を毎日勉強していたある日、1つの依頼を受けた。

「兄の友人の息子が小学1年生で野球をやっているとのことでした。その男の子に野球を教えてほしいとお願いされました」

米国での学びをアップデートしながら伝えている【写真:間淳】
米国での学びをアップデートしながら伝えている【写真:間淳】

小学1年生に施した初めて指導で「誰かのためになる」と実感

 松本さんに選手を指導した経験はない。そこで、米国で教わった体の使い方や練習法を少年に伝えた。指導の頻度は週1回だったが、少年は目に見えて成長した。松本さんの気持ちにも変化が生まれていた。

「ストライクが入るようになったり、バットにボールが当たるようになったりして、男の子も保護者もすごく喜んでくれました。自分からすれば普通だと思うことが、誰かのためになるんだと気付きました。それまでは自分が上に行くことだけを考えて野球をしてきて、初めて誰かのために野球をする充実感がありました」

 松本さんは選手として思い描いた道は歩めなくても、自分の経験が子どもたちや野球界のためになると知った。そして、目標を外資系スポーツメーカーから野球指導者に変更した。

 ただ、志はあっても道のりは険しかった。指導するために必要な道具や場所を確保するための資金がない。知名度の高い元プロ野球選手でもなく、サラリーマンや経営者の経験もない松本さんに融資する金融機関は簡単に見つからない。結局、親から借金して米国式野球アカデミー「Be an Elite.」を立ち上げた。

「貯金も信用もないので、お金を貸してもらえないのは当然ですよね。最初は苦労すると分かっていましたが、米国で学んだ知識や技術は必ず選手たちに役立つと信じていました」

 松本さんは米国で教わったことを、そのまま伝えているわけではない。専門知識のある他のスタッフと毎週ミーティングや勉強会を開いたり、文献を参考にしたりして、知識や練習メニューをアップデートしている。メニューも全ての選手に同じ内容を課すのではなく、個々に合ったものを組む。

 アカデミー開校から5年。口コミを中心に評判が広がってレッスンを受けに来る選手は増え、今ではプロ野球選手のサポートもしている。誰かのために野球をやる喜びを知り、松本さんは指導の道で開花した。

(間淳 / Jun Aida)

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