首脳陣のミスで…投手なのに「お前、DHだぞ」 耳を疑った“珍事件”「マジだったんです」

元広島・今村猛氏【写真:山口真司】
元広島・今村猛氏【写真:山口真司】

今村猛氏は2年目のシーズン初登板で3回1/3を無失点…プロ初勝利

 元広島でNPB通算115ホールドをマークした今村猛氏にとって、プロ2年目の2011年はいろんなことを経験したシーズンだった。4月16日の巨人戦(マツダ)で待望のプロ初勝利を挙げ、5月20日のオリックス戦(京セラドーム)では「7番・指名打者」でスタメン出場のドタバタ劇も……。6月途中には先発からリリーフに配置転換され、6月26日の中日戦(マツダ)でプロ初ホールドをマークした。「先発をやりたいという気持ちはあまりなかったです」と、当時の心境も口にした。

 高卒1年目の2010年は2登板に終わった今村氏だが、2年目には着実に進化した。戸惑っていたプロのストライクゾーンにも順応しはじめ、オープン戦では先発で好投を続けた。開幕前の2軍戦登板では「由宇での試合だったんですけど、無茶苦茶寒くて肩が痛くなりました」と思わぬ状況にはなったが「それもすぐ治りました」。開幕ローテ-ション入りこそ逃したものの、1軍の戦力として期待されるポジションに自身を押し上げた。

 3月11日に東日本大震災が発生し、セ・パ両リーグともに開幕が4月12日にずれ込んだ中、今村氏のシーズン初登板は4月16日の巨人戦。1991年4月17日生まれで、その日は10代最後の日でもあった。先発したジオ(ジャンカルロ・アルバラード)投手が4回途中に負傷降板のアクシデント。急きょ救援し、3回1/3を無失点でプロ初勝利を手にした。「19歳のうちに勝ててよかった。やっとスタートが切れたかなという感じでしたね」。

 2登板目の4月22日のヤクルト戦(マツダ)では先発して6回1失点だったが、打線の援護なく敗戦投手。0-0の6回に前年(2010年)のデビュー戦で満塁弾を浴びた畠山和洋内野手に今度はソロアーチを許した。「たぶん、相性が悪かったんでしょうね」。その後は3試合に先発、1試合にリリーフしたが、勝ち負け関係なし。6登板目の5月17日のソフトバンク戦(ヤフードーム)では6回1失点。4-1の時点で降板したが、リリーフが打たれ、延長11回4-4で引き分けた。

偵察要員として「7番・指名打者」で先発…規定で1打席に立ち犠打を決めた

 その次の出番となったのが5月20日のオリックス戦だ。偵察メンバーとして「7番・指名打者」でスタメンに名を連ねたが、指名打者は少なくとも1度は打撃を完了しなければならないルールがあり、打席に立つことになった。「コーチから試合前に『バットを振れ』と言われて『何でですか』と聞いたら『お前、DHだぞ』って」。今村氏はからかわれていると思ったそうだ。「『また何か言っているよ』って普通なるじゃないですか。そしたらマジだったんですよねぇ」。

 野村謙二郎監督ら首脳陣のミスだったが、とにかく1打席は消化しなければいけない。ベンチ裏で調整して本番に臨んだ。2回1死一塁で打席に入った今村氏は送りバントを決めた。ベンチからは「ナイスバント」の声がかかったという。「どうなるかと思いましたが、バントは得意だったのでよかったです」。5回の2打席目に代打・石井琢朗内野手が告げられて交代。試合直前にドタバタしたものの、珍しい体験をした形にもなった。

 先発投手としては結局、勝ち星をつかめなかった。5月25日の西武戦(マツダ)では4回4失点で2敗目。6月1日の楽天戦(Kスタ宮城)では5回3失点で3敗目を喫した。以降の登板は、引退する2021年まですべてリリーフ。楽天・田中将大投手との投げ合いに敗れた2011年6月1日が、プロ2年目にして今村氏の1軍での現役ラスト先発にもなった。もっとも、先発への未練は全くなかったという。

「試合で投げられればいいと思っていましたから。2年目はとにかく1軍にいたい。もうそれだけだったので。自分がどこかで投げられる場所があれば、ということだけでしたね」。その通り、リリーフで好結果を出していった。6月26日の中日戦(マツダ)では2番手で1回2/3を無失点。プロ初ホールドをマークした。表情ひとつ変えずに黙々と投げ込むリリーバー。今村氏はその道を極めていくことになる。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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