長嶋茂雄の指導で「吐きそう」も…アンチ巨人が一転 虜になった熱血塾、贈り物は「家宝」

元広島・長嶋清幸氏、難敵攻略へ中日・田尾に相談
広島など4球団でプレーし、NPB通算107本塁打をマークした長嶋清幸氏は現役時代、他球団選手、関係者にもアドバイスを求めて自身の成長に役立てた。プロ6年目の1985年には大の苦手にしていたヤクルト左腕から一発を放ったが、それも中日の有名外野手の教えによって打てたという。「俺ってそういうのに貪欲だったんですよ」。1986年の宮崎・日南春季キャンプでは超大物から熱烈指導も受けた。
長嶋氏はプロ5年目の1984年、9月15、16日の巨人戦(広島)で2試合連続サヨナラ本塁打を放つなど広島のリーグ優勝に貢献、阪急との日本シリーズでは3本塁打10打点の活躍でMVPも受賞。勝負強い打撃で名を馳せた。努力と鍛錬で年々、進化していったが、その間にもなかなか克服できない苦手左腕がいた。独特なフォームで上からも横からも投げるヤクルト・梶間健一投手がどうしても打てなかったという。
「とにかくタイミングが合わない左ピッチャー。なかなかそういう人って俺の中ではいなかったんですよ。ホントあの人だけは無理だった。梶間さんが先発の時にスタメンを外されたら、心の中で“よかったぁ”って思ったくらい」。とはいえ、そのままでいいわけがない。例え左対左でも、やられたらやり返す精神だけに、梶間対策も練りに練った。そんな中「(中日外野手の左打者)田尾(安志)さんが、梶間さんをよく打っているなぁ、何で打てるんだろうと思った」という。
早速アクションを起こした。「『田尾さん、すみません。ヤクルトの梶間さんを全然打てないんですけど、どうやったら打てるんですか』と聞きに行きました。そしたら『マメ(長嶋氏の愛称)、お前、梶間投手の足を見ていないか』と言われた」。指摘通り「足を見ちゃっていた」という。クロスステップで大きく振り上げられる梶間の右足。「尋常じゃないくらい、足がすごくデカく見えて、しかもそこで微妙にタイミングも変えてくる。その感覚がわからずにやられていたんです」。
どうすればいいのか。「田尾さんは『俺はあの足を見ないんだよ。だからタイミングだけ外されないように、足だけ見ずに打ってみな』って」。その次の梶間との対戦の際にそれを実行したそうだ。しかし、うまくいかなかった。「足を見ないようにと思ったら、余計見ちゃうわけよ」。もう一度考え直した。そして“田尾アドバイス”をヒントに「タイミングだけ外されないようにすればいいかと、梶間さんの時だけノーステップに変えた」という。
1986年の日南キャンプで長嶋茂雄氏から打撃指導
それで徐々に改善されていった。1985年7月14日のヤクルト戦では、ついに梶間から本塁打も放った。「いろいろヒモが解けてきたってことですよ」。その時“恩人”の田尾は中日から西武に移籍していたが、感謝したのはいうまでもない。長嶋氏はこの一件に限らず、相手チームの選手だろうが、関係者だろうが、自身の技術向上のためなら積極的に“聞き込み”に動いたそうだ。「俺はね。貪欲なんですよ」と笑った。
1986年の日南キャンプでは当時野球評論家だった“ミスタープロ野球”長嶋茂雄氏の打撃指導も受けた。「『OK、はい続けて、はい続けて。OK、いいよ、ちょっと待って、ちょっと待って、OK』みたいな感じで、ペースがどんどん早くなっていった。その言葉に躍らされるんだけど、もう、すごくて……。(日南の)天福(球場)のスタンドにどれだけ放り込んだか、わからないくらい打ったもん。あの時はもうホントに吐きそうになったよ」。
超スーパースターから直接声をかけられながらの感激の練習だったが、気がつけば、そんな気持ちもなくなっていた。「あの時、バッティングピッチャーも長島(吉邦)さんで『バッティングピッチャー、大丈夫、OK、大丈夫』とか言われながら投げておられたけど『酸欠で死ぬかと思った』って。それくらいペースが早かったんですよ」。打者長嶋、投手長島、指導者長嶋。30分の特打の予定が1時間20分くらいに延長されたそうだ。
ハードな練習だったが、もちろん最高の経験。「あの時から長嶋茂雄さんには、会うたびに声もかけてもらいました。次の年にね。陣中見舞いの(ウイスキー)オールド・パーが俺のところにも届いたんですよ。監督と主力選手にしか届かないものがね。もちろん、家宝になっちゃっていますよ」。子どもの頃は阪神ファンでアンチ巨人だった長嶋氏だが、誰からも愛されるミスターの魅力にすっかりハマった。そして、その時の教えもきっちり自身の成長につなげていった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)