レギュラー掴んだ翌年…大物加入で出番激減 心で祈った他球団移籍、元阪神捕手の“苦悩”

元阪神・狩野恵輔氏、メジャー帰りの城島加入で状況一変
野球評論家の狩野恵輔氏は2000年ドラフト3位で群馬県立前橋工から捕手として阪神に入団したが、プロ10年目の2010年は捕手ではわずか1試合の出場で、実質、外野手転向の形になった。前年(2009年)に127試合に出場し、レギュラー捕手の座をつかんだが、オフの補強で、メジャーリーグのマリナーズを退団した城島健司捕手が加入して状況が変わった。だからといって、そこに不満などは何もない。「球団がジョーさんを獲りにいったのは当たり前」とも口にした。
プロ9年目(2009年)のキャンプで投手への返球など短い距離がうまく投げられないイップスになりながらも、レギュラー捕手の座をつかんだ狩野氏だが、10年目はまた立場が変わった。メジャー帰りの城島が虎の一員となって、新たに正捕手の座に就いたからだ。「それはもうしょうがないなと思いました。僕はイップスを持っているんで……。出られなくなるというのはありましたけど、僕がもし第3者として見たら、城島さんが来たいというのなら絶対獲りますもん」。
城島を巡っては、古巣のソフトバンクも獲得の動きを見せていた経緯もあり「心の中ではソフトバンクに入ってくれ、とは思いましたけど、だんだんとこれは阪神だなって感じだったんでね」と正直な胸の内も明かす。「もちろん、負けてたまるかって気持ちもありましたけど、しょうがないなって方が強かったです。だって3割を打てるバッターだし、肩も強い、守備もいい。何も言うことないじゃないですか。そりゃあ獲りにいくよなってだけなので……」と振り返った。
「イップスという欠点を持った以上、無理なんじゃないかって自分でどこか勝手にそう思っていたのでね。それにね、ジョーさんがホントにいい人だったんです。いろいろ僕のことを気遣ってくれたりとか、いろいろ教えてくれたり、すごい勉強になりました。いつも言うんですけどジョーさんが逆に嫌な人だったらよかったです。そしたら嫌いになれた。周りにはよく言われましたよ。『ジョーさんが来てイラッとしたでしょ』って。一度もイラッとしたことはなかったです」

イップスの影響がない外野守備「近場に投げないので平気」
2010年、狩野氏は開幕1軍だったが、3試合に代打で出場した後、4月8日に登録抹消となった。「外野も練習してこいということでね」。打撃を生かすためだった。「キャッチャーをやりたいって思っていたけど、まず試合に出ないと……。出てアピールして、これならキャッチャーでもたまに出してもいいかなっていうふうにしなくちゃいけないと思いました。だから外野も、キャッチャーをやるためにやらなくてはいけない、みたいな感じでしたね、どっちかといえば」。
外野守備に送球イップスは影響がなかった。「外野は遠くに投げるじゃないですか。近場に投げないので平気なんです。軽くフワッとができないだけで全力でバーンと投げる時は出ないんです。バックセカンドみたいな方が嫌です。でもバックセカンドに軽く投げる時はもうランナーが進まないからいいんですよ」。4月20日に1軍再昇格し、その日の広島戦(甲子園)に「8番・左翼」で出場し、3打数1安打3打点。2打席目には広島・齊藤悠葵投手から1号3ランを放った。
しかし、結局この年は32試合、42打数9安打の打率.214、2本塁打、5打点の成績に終わった。スタメンは7試合ですべて左翼手での出場。あとは代打、代走が中心で、捕手としては5月18日のソフトバンク戦(ヤフードーム)で、2-2の同点に追いついた9回表に左前打の城島に代走・大和が出された後、左前打の桧山進次郎外野手の代走で出場し、そのままマスクをかぶっただけ。9回裏は江草仁貴投手、阪神が2点を勝ち越した後の10回裏は藤川球児投手とバッテリーを組んで勝利に貢献したが、それ以外に捕手での出番はなかった。
うまくいきかけても、なかなかスンナリ進んでいかない。阪神はレギュラーシーズン2位で3位の巨人とクライマックスシリーズ・ファーストステージ(10月16、17日、甲子園)を戦い、0勝2敗で敗退したが、狩野氏はそれに出場できなかった。10月10日のみやざきフェニックス・リーグの横浜戦(清武)で腰を痛めていた。そして、この怪我がその後にも……。また苦しい時期が近づいていた。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)