中日の練習に「こんなもんか」 高卒で“外れの外れ”入団も…想像と違った別世界

荒木雅博氏はプロの練習を「もっとすごいと思っていたんです」
1995年中日ドラフト1位の荒木雅博氏(野球評論家)は高卒2年目の1997年に1軍デビューを果たし、63試合に出場した。本拠地がナゴヤ球場から広いナゴヤドームに変わったシーズン。「ドームになって(監督の)星野(仙一)さんが『足が速い選手を』ってなったんだと思います」。通算2045安打をマークした名選手のプロ初安打は同年6月11日の広島戦(広島)。左腕・高橋建投手から右前打を放ったが、この時の“記念ボール”には思い出があるという。
野球の名門・熊本県立熊本工から中日入りした荒木氏は1年目のキャンプは2軍スタートだった。PL学園・福留孝介内野手と東海大相模・原俊介捕手の外れの外れ1位。「自分はそんな1位の選手ではないとわかっていた」と話すが、常に注目される“1位扱い”は続き「それに関しては嫌でした」。だが、プロの練習については戸惑うことはなかったという。「正直、もっとすごいと思っていたんですよ」。
別世界と予想していたのが違っていた。「あれっ、こんなもんなんだってね。かといって、自分がここでレギュラーをとっていけるとは思っていないですよ。ただ、自分の中では、プロ野球のレベルをもっと高いところに置いていたんです。スゲーなぁって思ったことはなかったですね。やっていく自信はなかったですけどね。プロ野球って、どうやって野球をやるんだろうっていうのも全然わからなかったですもんね。やるべきことだけ、やっておこうと思いました」。
練習の中身もハードには感じなかったそうだ。「僕ね、プロ野球に入って練習がしんどいと思ったのは(中日監督が)落合(博満)さんになった時だけです。それまでに、練習がしんどいと思ったことは1回もないです。体力だけはあったんでね」。2004年シーズンからの落合体制での長時間に及ぶ“地獄のノック”は有名だが、そこに至るまでの荒木氏は「なんでプロ野球なのに、もっと練習しないんだろうって思っていました」とも口にした。
熊本工時代から練習に練習を重ねて実力をつけていった。それをプロでも継続した。全体練習とは別に個人練習にも精を出した。「やりましたね。毎日」。1年目は2軍で86試合に出場、規定打席に到達して打率.231。「あの年は(2軍に)人がいなかったんです。怪我人だらけでね。だから試合に出られたんですよ。僕は怪我をしなかった。体力もあったしね」。結果についても「十分ですよ。あんなひょろひょろバッターが1年目から2割3分も打ったんですからね」。

星野監督がメーカー担当に「こいつに道具をやってくれ」
プロ2年目は“ナゴヤドーム元年”。「バッティングはいいわけではなかったんですけど、星野さんは僕のことを守備固めでも,足でもと思ったんじゃないですかねぇ」。チャンスが巡ってきた。「オープン戦で(1軍に)呼ばれて、バッティングの時にバットを持って行ったら,星野さんに『何や、その汚いバットは』って言われました。ずっと使っていたヤツなんで『今、これで頑張っています』と答えたら『(用具メーカーにバットを)もらっているんだろ』って……」。
荒木氏には入団以来、どこのメーカーもついていなかった。「『いや、もらっていないです』と言ったら、星野さんは『お前、(ドラフト)1位なのに、もらってないのか』と……。ミズノの担当の人を呼んで『こいつに道具をやってくれ』って僕の目の前で話してくれました」。ミズノとの関係はそこから始まった。「その後、いろんなところから話はありましたけど、恩義があるので最後までミズノ。今も指導に行くときはミズノのジャージーでミズノのグラブです」。
闘将のひと言で、そんな“環境”も変化したプロ2年目、荒木氏は5月31日のヤクルト戦(千葉マリン)で1軍初出場を果たした。途中から遊撃守備に就き、1打数無安打だった。翌6月1日の同カードでは8番遊撃で初スタメンも2打数無安打で途中交代。「相手(投手)は田畑(一也)さん。エンドランが出てフライを上げた覚えがありますね」。そしてプロ初安打が5試合目の出場となった6月11日の広島戦。途中出場で5回表に高橋建投手から右前打を放った。
この時のことを荒木氏はこう話す。「普通、その時点で(初安打の)ボールをもらえるんですが、もらえなかったんですよ。で、僕はそのボールを追っかけていたんですが、あの後、誰だったかが打った球が帰ってきて(中日捕手の)矢野(輝弘)さんが捕ってくれた。『あいつ、初ヒットじゃないのか』って見てくれていたんです。ヒットを打って即じゃなく、そのボールを使った後。もしもホームランとかファウルを打たれていたら僕のもとにはなかったですね」。
そんな形で、何とか手にできた記念球だが、現在の“置き場所”については「どこに行ったんでしょうねぇ」と苦笑する。「いろんなボールがあるんですけど、初ヒットに関しては、これホントに俺のかな、って、それくらいの気持ちでしかなかったんでしょうね。寮から出るときにどっかいったか、親に渡して実家に置いてあるかのどっちかですけど……」。それが通算2045安打の1安打目。ボールの行方はともかく、そういう意味でも印象に残っているそうだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)