選ばされた茨の道「じゃあ行きます」 恩師に言えなかった“断り”の理由…舞い込んだ好待遇

元ロッテ・服部泰卓氏【写真:尾辻剛】
元ロッテ・服部泰卓氏【写真:尾辻剛】

元ロッテ・服部泰卓氏、1度は愛知工大への進学を決意

 2007年の大学・社会人ドラフト1巡目でロッテに入団した服部泰卓氏は、2013年に51試合登板するなど中継ぎ左腕として8年間のプロ野球生活を送った。徳島の川島高時代は最終学年で2度、県大会ベスト4に進出。だが、甲子園出場には届かなかった。次のステージで考えたのは大学野球。特待生での進学を強く希望する中、練習を視察した駒大・太田誠監督に認められて“内定”を勝ち取った。だが……。即答は避け、1度は別の大学への進学を決意していた。

 家庭の事情で大学進学の場合はあくまで特待生にこだわった服部氏。スカウトから「特待生というのは有望な選手を獲るための枠であって、君みたいな選手を獲る枠ではない」と酷評された駒大は候補から消えたはずだった。ところが視察した太田監督が評価してくれて特待生での“合格通知”が届く。「選択肢が1つ増えた」と喜んだが、結論は先送りにしたのである。

「今でもそうなんですけど、僕は都会志向が強いんです。実家のある徳島から近いし、本当は大阪の大学に行きたかったんですよ。都会だし『関西に行きたいんです』と伝えたんですけど『いや関西の大学からは話がない』って言われました」。高校の先生と話し合いの中で、服部氏が把握していた選択肢は4校。駒大のほかに愛知工大、徳山大、四国学院大が特待生で進学できる状況にあった。

 そのうち四国学院大と徳山大は「地域的に四国と中国地方ということから僕の中では別のところを選択しようという考えでした」と振り返る。「愛知か、東京か。僕からしたら決め手はなかったんですよ。どっちも徳島の僕からしたら都会だから、どっちかだなあと思っていました」。そうやって悩んでいたある日のことだった。「野球部じゃないんですけど、中学から凄く仲が良かった友人が、愛知工業大に進学するってなったんです」。工業科の高校に通う友人の思わぬ状況に胸が高まった。

「じゃあ俺も行くわ。俺もたまたまそこから話が来てるわ」。友人にそう告げると、高校の監督にも電話した。「僕、愛知工業大に決めました」。すると、ここから事態は思わぬ方向に動き出す。「『ちょっと待っとけよ』って言われて、家まで監督が来てくれたんです。『外でお茶でもしよう』って言われて喫茶店に入りました」。

 監督の言葉は、今でもよく覚えている。「『駒澤大学の特待生っていうのが、お前にとって重いんか?』って言われました。僕が駒大を選ばなかったのは、それが理由だと感じたみたいで……。『いや、僕は友達が……』とは口が裂けても言えなかったので『まあ、ちょっと……』ってごまかしていたら『太田監督を見ただろ。後光が差してただろ』ぐらいのことを言われました。後光が差してたかは僕には分からなかったんですけどね」。

揺れた心「プロ野球選手の道も近づくかもしれない」

 太田監督は後に前人未到の監督通算501勝を達成する、大学球界屈指の名将。高校の監督の立場としては、特待生で受け入れてくれると言ってもらった以上、駒大を勧めるのは当然だったのかもしれない。「ああいう厳しい監督の下、4年間やりきるということは、自分にとって今後の人生にとって絶対にプラスになる、財産になる。全然、重荷に感じることなく特待生として行ってこい。どうする?」。駒大に行け、と言われているのと同然の言葉に「僕、愛知に行くって言ったのに……」と思ったそうだが、考えることもあった。

「レベルは知らなかったんですけど、駒大の方が強いんだろうなって感じました。高校まで弱いチームでしかやっていない。レギュラー争いをしたことがない。つまり挑戦をしたことがない。自分のポジションを勝ち取りにいくということを1回やってみても面白いかもしれないとちょっと思ったんですね。厳しい監督、厳しい環境の下、4年間やれば自分の財産になる。成長につながる。人間として厚みも増したいし、活躍したら野球人生も格好いい。強豪校に行ってレギュラー獲ったら、プロ野球選手の道も近づくかもしれないと思いました」

 心は揺れ動き「じゃあ駒大に行きます」と自らの考えを転換。高校の監督は「分かった」とすぐに答えたそうで「何としても駒大に行かしたかったんだろうなとは思います」と回顧した。川島高に進学する際は、小4から憧れていた強豪校である池田高を強く志望していたが、厳しい環境を不安視する周囲の説得を受けて断念。大学進学は逆に厳しい環境を勧められ、紆余曲折を経て駒大進学が決まった。

 思い返せば、四国で左腕を探していた駒大のスカウトに同大OBの生光学園高(徳島)の監督が服部氏を特に推していたわけではない。「『左手で投げてますよってレベルのピッチャー』という話しかしてないですから。僕なら見に行かないかもしれないけど、見るという選択をしてくれた」。ただ、投球練習を見たスカウトは獲得の意思は示したものの「特待生のレベルではない」と突き放され「そこで駒大との話は終わった」と感じざるを得なかった。

 その後、太田監督から視察したいとの話があった時は「もう終わった話。どっちでもいい」と消極的な姿勢を示した末に投球を披露。“内定”を勝ち取ったものの、当時は結論は保留しており、1度は愛知工大への進学を決意していた。「駒大に行く選択に至るまでに、駒大以外の選択肢を結構とってるんですけど、結局、駒大に行くというのは、いろんな縁が重なってたどり着いたのかなと思いました」。何度も選択肢から消滅したと感じながら、最終的に進んだ駒大。不思議な運命の糸を感じずにはいられないようである。

(Full-Count編集部)

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