伝説の二遊間、相棒の住居も「僕が探しました」 最初の愛称も奇想天外…コンビ結成秘話

日本球界を席巻した「アライバ」コンビは2002年から本格化
元中日の名内野手・荒木雅博氏(野球評論家)はプロ7年目の2002年に131試合に出場して、初めて規定打席に到達した。打率.259、2本塁打、18打点、16盗塁。NPB屈指の二遊間と言われた井端弘和氏(元中日、巨人、現野球日本代表監督)との“アライバコンビ”も、この頃から本格化していく。「井端さんにはいろんなことを教えてもらいました」。最強の“相棒”の存在はやはり大きなものだった。
1997年に亜大からドラフト5位入団の井端氏は、1995年ドラフト1位で熊本工からプロ入りした荒木氏より2歳年上。当初から馬が合っていたようで、1999年オフに同時に退寮してからも同じマンションだったという。「僕が(マンションを)探しましたよ。『俺、ちょっと探すのが、あれだから、お前探しといて』って言われて『えっ、一緒でいいんですか』という話をしてね」。2年ほどそこでの生活が続いたそうだが「一緒に行動することはあまりなかった」という。
退寮後1年目の2000年は井端氏が1軍で92試合に出場したのに対して、荒木氏は40試合の出場。「井端さんが1軍で、僕は2軍。時間帯も違った。“井端さんは1軍で頑張っているなぁ”って思ったくらいで。(2人とも)1軍の時も遠征に一緒にタクシーで行ったくらいかな。その頃はまだ二遊間を組んでいませんでしたしね」。その年の荒木氏は全て外野手での出場。1軍公式戦で初めて“アライバ”がグラウンドで揃った時は荒木氏が中堅、井端氏も右翼だった。
そんな2000年に井端氏は規定打席にこそ届かなかったが、打率.306の成績を残して2001年から遊撃レギュラー。一方、荒木氏は2001年に111試合に出場し、規定打席不足ながら打率.338。守備はこの年も当初外野がメインだったが、8月中旬からは「1番二塁」で起用され「2番遊撃」の井端氏と二遊間を組んだ。「あの時は星野(仙一)監督が立浪(和義)さんをサードにコンバートしたいということで、僕がセカンドになだれ込んだ感じでしたね」。
そして2002年から“アライバ”の2人が揃って1軍で活躍するようになるが、荒木氏は「最初はやっぱり山田さんなんですよねぇ」と話す。2001年限りで星野監督が退任し、2002年シーズンから中日は山田久志監督体制になった。「山田さんが、僕と井端さんと福留の“若い3人を売り出したい、何とか、こいつらにこのチームを引っ張ってほしい”ということで、やってくれたのでね……」。

公募されたニックネームは荒木&井端&福留のトリオで
2002年、荒木氏のシーズン初スタメンは開幕3戦目の4月2日の巨人戦(ナゴヤドーム)で「8番中堅」。その後、二塁を守るようになった。打順も前半戦は7、8番が多かったが、後半戦は「1番遊撃・井端」に続く「2番二塁」に定着した。川上憲伸投手がノーヒット・ノーランを達成した8月1日の巨人戦(東京ドーム)では「2番二塁」で出て、巨人先発・入来祐作投手から1号3ランを放つなど3安打と活躍した。
「あの日、僕ね、スタメンじゃないって言われていたんですよ。それがふたを開けたら僕の名前があったんですよ。えって思ったけど『行け』と言われて『はい』と言って。それでホームランとかも打ったんですよね」と懐かしそうに話したが、まさに山田体制でジャンプアップしていった。2003年には「荒木、井端、福留トリオ」のニックネームが公募され、カンフー映画のヒーローにちなんだ「ブルー・スリー」に決まった。残念ながら、それはあまり盛り上がらなかったものの、代わるように最強二遊間コンビ「アライバ」として大ブレークするわけだ。
井端氏からはポジショニングなども含めて学ぶことが多かったという。「井端さんは野球観というのもね、面白い感覚で、自分が考えても出てこないような発想もある。そういうのを横で聞きながらね。いっぱいミスもしましたし、なかなか覚えきれないこともあったけど、やっぱり体で覚えていったというのがホントですよね。何年かしたら、あ、こういう場面あったなぁというのは、どっかで覚えているのでね」。
さらにこう続けた。「『ああ、抜かれたなぁ』と思うヤツを井端さんが正面で捕ったりしている時があって、あとから『何であっちに寄っていたんですか』と聞いたら『それはさっきこうだったから、次、こうしたいだろう』とか言われて『そういうことですか』って。そんな感じで試合中が一番勉強しましたよ。頭につめこむのだったら、試合に出て、肌で現場の雰囲気を感じていった方が勉強になるんじゃないかと思いますね」。
星野監督の抜擢があり、山田監督からの強力アシストもあった「アライバコンビ」は2004年からの落合博満監督体制で、さらに鍛え上げられ、その存在感を強固なものにする。井端氏との出会いが、荒木氏の野球人生において、大きなものになったのは言うまでもない。「僕がね、自信があったのは守備範囲だけですよ。特にうまいとかではないし、ただ、来るボールを捕ってアウトにする。それだけのことなんでね」と振り返った。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)