中日監督が“無茶振り”「動けねーだろ」 待っていた地獄…初めて芽生えた「しんどい」

元中日の荒木雅博氏は2004年から6年連続30盗塁をマークした
元中日内野手の荒木雅博氏(野球評論家)はNPB11位の通算378盗塁をマークした足のスペシャリストでもある。プロ9年目の2004年からは6年連続30盗塁も記録したが、これにはその年からチームに“癖を見抜く達人”が加わったのが大きかったという。「いろいろ教えてもらって勉強しました」。相手投手の牽制の癖をチェックしていくうちに、さらには球種の癖も……。「それから打ちだしたんです」と打撃にも好影響を与えていた。
2004年から中日は落合博満監督体制になった。荒木氏はこの年、初めて全試合(138試合)に出場し、602打数176安打の打率.292、3本塁打、44打点、39盗塁の成績を残した。シーズン9度の1試合4安打以上のNPB記録を達成し、ベストナイン、ゴールデン・グラブ賞も初受賞した。「一番練習しましたもんね、あの年は」。キャンプ初日の紅白戦からスタート。それは事前に予告されており「あとあと考えたら、オフの間に休ませたくなかったんだろうなというのを感じましたね」と話す。
「何してくれるんだ、2月1日から。動けねーだろ、こんなのって思いながら、でも、やっぱりやらないと、みんなやってくるだろうからって練習しましたもんね。実際にみんなもデキが早かったですねぇ。(川上)憲伸さんは、145キロを超えてましたもんね、ガッツポーズまでしていたもんなぁ、三振をとって。今じゃ早い段階で紅白戦をやるところも出てきましたけど、あの時は2月1日に打席で140キロ以上を見たのは初めてでしたもんねぇ」
キャンプでは落合監督に“地獄ノック”で守備も徹底的に鍛え上げられた。「初めてプロの練習がしんどいと思いました」と明かすほどで、そんな、いろんなことを乗り越えて結果を出した年でもあった。加えて、目立ったのは盗塁数が前年(2003年)の16から倍以上の39に増えたこと。これには前年まで阪神コーチだった長嶋清幸氏(現在は愛知県犬山市「元祖台湾カレー犬山店」オーナー)が打撃兼外野守備走塁コーチとして落合中日に加入したのが大きく関係していた。
足の速さは熊本県立熊本工時代から図抜けており、プロでもその能力を発揮していた荒木氏だが「レギュラーを取りだしてからになると、やっぱり、相手がマークしてくるんで、走りづらくなっていたんですよ」という。「昔みたいに怖い物知らずでどんどんいっていると牽制でアウトになるし、何かをやらないと、もう走れないなと思っていた時に、長嶋さんが来てピッチャーの癖とかを教えてくれて、いろいろ勉強するようになりました」。
長嶋氏は現役時代、広島、中日、ロッテ、阪神の4球団でプレー、引退後は阪神でコーチを務めていたが、旧知の間柄の落合監督に誘われて、中日にコーチとして復帰したばかりだった。「長嶋さんは癖とか、そういうのを見るのが得意でしたからね」と荒木氏が感謝するように、常に敵の隙を逃さないようにアンテナを張り、相手投手の癖などを見抜く達人からの“教え”が、そのまま盗塁数の増加につながったのだ。

徹底したストレート対策「ヒットにすればいいんでしょ」
その勉強の成果はすさまじかった。「ずっと投げている人に関してはファースト側からの映像があったりするんで、何回も見て、試合前までに“予習”ができますけど、初対戦のピッチャーとか資料がない場合は、その場でも(癖が)見つけられるようになりました。行き当たりばったりですけど、そういう人の方が何もまだ修正されていないので(癖が)出やすいんで、そっちの方が簡単でしたね」。さらにはこれが、打撃にも生かされるようになったという。
「そういうのを見る訓練ができだしてから、これって球種(の癖)もあるんじゃないかなって……。それから打ちだしたんですよ」。この技術の習得によって、変化球を捨てて、より直球に狙いを定められるようになった。「だから、真っ直ぐだけは絶対に打ち返すために、ずっと練習しました。マシンばかり打っていました。マシンの近くに寄って打ったりとか、どうやったら真っ直ぐの一番速いヤツを打ち返せるんだろうって、いろんなことをやりましたね」。
積み重ねた練習が結果も導いた。「どんな打ち方でもいいから、ヒットにすればいいんでしょ。打ち方はもともとそんなによくなかったし、最後まで胸を張って、俺のバッティングを見とけよって言えるだけのスイングはしていなかったし、正直、よう、この打ち方でやれたなって自分でも思うくらいなんで、たぶん工夫なんですよ」と話す。どんな剛速球が来ても「脅威じゃなかったです」とも言い切った。
「年をとってきてからちょっと速いなぁ、怖いなぁって思いはじめたときは、もうやめるときでしたけど、若い時は、速いヤツに関しては全然、何とも思わなかった。速いヤツをポンと当ててあげたら飛んでいくじゃないですか。ポイントさえちゃんとしていれば、速くてもズシンとこないし……。別にホームランを狙っていないんで、フルスイングする人は後ろにいるし、僕はいいつなぎができればっていうのを常に考えていましたね」。
あの阪神・藤川球児投手の“火の玉ストレート”も苦にしなかった。三振もしたが、ヒットも多かった。「ずっとみんなを見ていたら、ボールの下を振って空振りしていたんで“いつもと同じところを振ったらボールの下なんだな、このピッチャーは”と思って、いつもよりボールの上を振った。下、空振りするんだったら、上、振っちゃえのタイプなんでね、だから打てたんです。難しいことはできなかったから、単純に考えました。バッティングに関しては特にね」。
長嶋コーチの加入による相手投手の癖研究から、走塁面も、打撃面もどんどん道が開けていった形だ。もちろん、それを逃さなかったのも荒木氏の実力だし、それを自分のものにしてしまう“継続練習”の力が、ここでもまたフル活用されたということだろう。通算2045安打、通算378盗塁の輝かしい結果を残した名選手は「真っ直ぐしか打てなかったですから」と言って笑った。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)