落合監督からまさかの一言 イチロー超えの“奇策”を拒否も…荒木雅博氏が受け取った親心

元中日の荒木雅博氏は2004年に9度の1試合4安打を達成した
2004年のセ・リーグは就任1年目の落合博満監督率いる中日が制した。当時レギュラー二塁手だった荒木雅博氏(野球評論家)にとっては「自分が出ての優勝は初めてだったので、うれしかったですね」と思い出深い1年になった。歓喜のVだけでなく、10月10日のヤクルト戦(神宮)ではNPB新記録の1シーズン9度目の4安打以上を達成。3勝4敗で敗れたものの、西武との日本シリーズでは第5戦で、やりたいと思っていたことができたという。
2004年の荒木氏は相手投手の癖の探し方などを新任の長嶋清幸打撃兼外野守備走塁コーチ(現在は愛知県犬山市「元祖台湾カレー犬山店」オーナー)から学び、走塁と打撃に生かした。全138試合に出場し、打率.292、39盗塁。開幕戦は「2番・二塁」だったが、5月中旬からは「1番・二塁」で起用され、落合中日の優勝に貢献した。「負けて決まったんでしたよね」。10月1日の広島戦(ナゴヤドーム)を延長12回2-5で落としたが、2位ヤクルトも敗れてV決定となった。
固め打ちが多いのは現役時代の荒木氏の特徴のひとつだが、この年は4安打以上が9回。これはオリックスのイチローが1996年に記録した8回を超えるNPB記録だった。9回目を達成したのは、シーズン最終戦ひとつ前となる137試合目の10月10日のヤクルト戦。「意識はしていました。周りから言われていたのでね。ちょうど3本打ったから、これはもう1本、チャンスだなと思って……打てたんですよねぇ」と記憶をたどった。
「かといって、イチローさんの時と僕の時では試合数が違いますからね。イチローさんは130試合制。まぁ、そういうのもあって自分の中では、あまりこだわりはなかったんですけど、落合さんは僕に記録を達成させたかったみたいです。あと1安打になった時『4安打打ったら、記録らしいな』って聞かれて『らしいですね』と答えたら『セーフティしてこい』って言われましたもんね」と笑いながら明かした。
「『いや、僕、そこまで記録にこだわっていないんで、打ってきます』と言って、確か4安打目はレフト前に打ったんじゃなかったかなぁ」と振り返り「落合さんは、そういう記録を選手に達成させたいっていうのが、すごくある人なんですよ」と付け加えた。2004年リーグVは、この記録も含めて忘れられないものになったが、その後の西武との日本シリーズでも荒木氏は印象に残っている自身のプレーがあるという。
憧れだった西武黄金時代の“伝説の走塁”
2勝2敗で迎えた第5戦(10月22日、西武ドーム)。荒木氏が3回1死から先制点のきっかけとなる左越え三塁打を放ったシーンだ。これには少年時代からの思いが絡んでいた。「僕はね、どうしても辻(発彦)さんみたいな走塁がしたかったんです」。1987年の西武対巨人の日本シリーズ第6戦で一塁走者の西武・辻が、中前打を処理した巨人のウォーレン・クロマティの緩慢な動きを見逃さず、一塁から一気に本塁を陥れた伝説の走塁だ。
「クロマティが回転してフワっと投げて、その間に(一塁から)辻さんがホームに行った。あれを見てかっこいいな、自分もやってみたいなと思って、走塁を意識するようになったんです」。時を経て荒木氏は1987年の10歳の時に見た西武・辻のように自分も日本シリーズの大舞台で敵の隙を逃さない走塁をしたいと考えて、2004年の西武との日本シリーズに臨んでいた。
そして第5戦の2打席目で西武先発の西口文也投手から左翼フェンス直撃の当たりを放った時に、そのチャンスが巡ってきた。「レフトオーバーを打って(西武左翼手の)和田(一浩)さんが、フワっとショートに返したんですよ。僕は二塁を回ったところで“来た、ここや!”と思って(そのまま三塁へ)走ってセーフになったんです」。一瞬の隙をついた“神走塁”。二塁を回ってノンストップでさらに加速して三塁を陥れ、二塁打を三塁打にしたのだ。
この回、中日は先制点を挙げた。試合も6-1で勝利して王手をかけた。そこから連敗して日本一こそ逃したものの、あの第5戦三塁打は「よく覚えています」と話す。リーグ優勝を果たし、1シーズン4安打以上9回の日本記録を達成し、初めてベストナイン、ゴールデン・グラブ賞も受賞した2004年から、荒木氏は走攻守にわたってさらに技量をアップさせていく。野球人生における“いい流れ”をつかむきっかけの年にもなった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)