元ドラ1愕然…球界OBへの“固定観念”「8割が自己破産」 決断したサポート「きっかけ与える」

元ロッテ・服部泰卓氏、引退後は独立…さまざまな活動展開
2007年の大学・社会人ドラフト1巡目でロッテに入団した服部泰卓氏は、6年目の2013年に自己最多の51試合に登板し、2勝1敗20ホールド、防御率3.38を記録。だが以降は振るわず、2015年に戦力外通告を受けて現役を引退した。引退後はサラリーマン生活も経験。2023年には独立して自身の現役時代の背番号「20」を社名にした会社を立ち上げ、講演活動やセミナー開催などさまざまな事業を行っている。
小1だった6歳から野球を始め、プロ野球生活を8年間送って現役を引退。野球漬けだった27年間から、状況が大きく変わった中でも、変わらなかったものがある。「『代わりの利かない存在になっていきたい』っていうのがありました。野球の時は代わりが利いちゃうと代わりの選手が入っちゃう。『代わりの利かない、唯一無二の存在じゃないと自分のポジションは確立できない』と思っていたので、そこは意識しながらやっています。そこは野球が終わっても同じ。社会に出て、自分にしかできないことをやっていきたいなっていう思いがあります」。
引退直後は駒大の先輩が経営する会社に勤務。「独立したいタイミングが来たら独立してくれていい」と言われていたそうで「入社してから、これまでの野球関係とは全く違う、別の世界で活躍されている方々と出会い、たくさん刺激を受けながら、日々学んでいました」という。引退から1年後の2016年の12月には、学生野球資格回復研修を受講。翌2017年2月7日付で日本学生野球協会から学生野球資格回復の適性を認定されるなど、活動の可能性を広げていった。
2022年には独立リーグのBCリーグで解説者の仕事も開始。2023年には独立して自身の会社「20」を設立し講演活動も行うようになった。「知人から『講演してみないか』って言われたんです」。172センチ、68キロ(現役時代の公称は173センチ、71キロ)とプロ野球選手としては小柄な体格。スラリとした体形は、ユニホームを脱ぐと、とても元野球選手とは思えない雰囲気が漂う。
徳島の川島高までは野球エリートとは程遠い生活を送っていた。大学と社会人ではドラフト指名漏れを経験。それでも諦めずにドラ1でプロ入りした経緯がある。知人から「やりたくてもやれる人はいない。聞きたい人もいる。野球選手らしくない体つきをしてるし、何を考えて行動して夢をつかむことができたのかというのは、一般の人が聞いても勇気づけられると思う」と強く背中を押され「自分にしかできないんだったら、やってみようかってなりました」という。
企業や団体に向けての講演活動などにも尽力している中、引退したプロ野球選手の第2の人生をサポートできないかも考えている。「野球のキャリアが終わった後に、あまりポジティブな話を聞かない」というのが契機となった。「『野球選手を引退した人って、8割ぐらいの人が自己破産してるんですよね?』って言われたことがあるんですよ。そんなことないじゃないですか。でもイメージとしてはそうなのかなって思ったりしました」。世間が抱くイメージに愕然としたそうだ。
都内でバーを運営、交流会を開催
「野球を頑張ってきた人が、辞めた後に豊かな人生を歩まないというのは寂しい。自分自身もそうですし、社会で活躍できる人材でいてほしいんです。組織に所属しても、独立しても、優秀な人材であれたらうれしいなと思う。一つのことを長くやり続けて、プロの門をこじ開ける能力があったわけですから、何にしてもやり切る能力はあると思う。やりがいを与えてあげたら絶対に活躍できるはずだと感じているので、何かきっかけを与えることができたらいいなと……。まだ答えは出ていないですけど、何かしていきたいなと考えています」
それ以外にも都内でバーを1店舗運営しており、定期的にイベントも行っている。「コンセプトとしてリビングみたいにしていて、宅飲みって感覚で内装しているんです。仲間が集まるような場所になればいいなぁっていうので作ったんです」。当初は連日営業していたが、試行錯誤しながら現在は不定期で開店。球界の仲間や友人、普段の活動などで知り合った人など“縁”がある人を誘い“TAKUNOMI縁会”と称した交流会を開催している。
「中学から高校、大学も社会人も、いろんな縁があって、導かれて、『プロ野球選手になる』という幼い頃からの夢を叶えることができました。サポートしてくれる人がたくさんいたし、恩師と呼べる方が何人もいるし、そういう縁を大事にしていきたいと考えている。縁がある人の『代わりが利かない存在』になっていくという理念があります。いろんな人が集まって、縁がある人同士がつながって、またその先が広がる。そういう場所にできたらいい。いろんな人とつながって、豊かになって、その人たちにとって影響力がある人間になりたいなと思っています」
川島高時代には阿南工高・條辺剛投手(巨人)の剛球に衝撃を受け、駒大時代には同じ小柄な左腕の青学大・石川雅規投手(ヤクルト)に強い影響を受けた。トヨタ自動車時代にはメンタルコーチの講義を聞き「考え方が変わって、人生が変わった」とプロへの礎となる出来事を経験。服部氏が誰かを見て変われたように「『服部さんの開催した会で、あの人に出会えたおかげで僕の人生がこういうふうに変わった』みたいな、いい変化が起きていく。ターニングポイントをつくっていけたら凄くいい」と現在考えていることを明かした。
「講演でも、僕の話を聞いて『凄く未来が見えた』とか『目標に対しての取り組み方が変わった』とか『講演を聞いたおかげで自分の人生がこういうふうになった』とか、いい影響を与える人間になっていきたいなあと思っています。そういう活動をいろいろやっていけたらいいと考えてやっていますね」。体の大きさは関係ない。諦めずに努力を続ければ、工夫次第で夢はかなえられる。体現してきたからこそ、伝えられるものがある。服部氏の活動は、これからも広がっていく。
(尾辻剛 / Go Otsuji)