花咲徳栄を粉砕…昌平の劇的満塁弾はなぜ生まれた? ナインと監督の“苦い記憶”

昌平がタイブレークの末、花咲徳栄に勝利
第107回全国高校野球選手権埼玉大会は19日、県営大宮球場などで4回戦16試合が行われ、ベスト16が決まった。前回大会決勝と同じ花咲徳栄と昌平が顔を合わせた屈指の好カードは、昌平が延長10回タイブレークの末、5-1でサヨナラ勝ちし昨夏の雪辱を果たした。
昌平は初回1死満塁から相手の失策の間に先制。打線は9回まで3安打と振るわなかったが、右腕・窪田竣介投手(3年)が好投。直球とスライダーを効果的に使い分け、2、3回戦で22点を奪った強打の花咲徳栄を8回まで無得点に封じ込んだ。
“スミイチ”での逃げ切りかと思われた9回2死から、失策と適時打で追い付かれたが勝ち越しは許さなかった。岩崎優一監督は「ずるずるいくのがこれまでの負けパターンですが、1点で抑えたところに成長を感じる。勝因は窪田に尽きます。今年はいろいろあったので『(今までの不出来を)精算してよ』って伝えたんです」と笑わせた。
1-1でタイブレークに突入した10回、送りバントと申告敬遠で無死満塁とし、3番の諏江武尊内野手(3年)が2球目のスライダーを捉えると、左翼越えのサヨナラ本塁打。それまでの4打席で2三振を喫していた諏江の一発に、ナインは抱き合って喜びを爆発させた。
殊勲のグランドスラムを放った諏江は、1年前の決勝も8回から守備要員で出場したが、打席では空振り三振に倒れ、二塁の守備では10回に失策から追加点を献上。「今日はリベンジの思いもありましたが、花咲徳栄を破らないと先には進めない。東部で戦うことは少ないが、徳栄も共栄も偉大なチームだと思う」と話すと、力投した背番号11の窪田も「入学した時から徳栄と共栄を意識しました。今年は特にその気持ちを高めた」と、ライバルの存在が自分たちを強くしたと振り返った。

14点差の屈辱的な大敗も…昌平にとっては“目の上のコブ”
2023年秋季県大会決勝は5-8で屈し、翌年春の県大会決勝は6-20という屈辱的な大敗。昨夏の決勝も延長10回の激闘に9-11で敗れるなど、花咲徳栄という巨人に風穴を開けられないでいた。
昌平にとって花咲徳栄は目の上のコブであり、越えなければならない厚い壁であり、目標でもある。埼玉県はスポーツ行政の地域区分として、各市町村を東西南北に分けている。加須市にある花咲徳栄も、北葛飾郡杉戸町の昌平も東部地区に属する。
夏の甲子園代表を見ると、8校が計29度出場した南部地区が最多。浦和学院だけで15回も出ている。7校で13度の西部が続き、北部は5校で12度。東部はというと最少の3校で14度だ。校数は少ないが、花咲徳栄が8度出ているため出場回数では2番目に多い。
東部勢が夏の甲子園代表になったのは4地区の中で最も遅く、1991年の第73回大会の春日部共栄が最初。95年に県立の越谷西が続き、花咲徳栄は2001年と21世紀に入ってからだ。
どういうわけか名門が少ない地域だったが、本多利治監督の強化が実って春日部共栄が埼玉屈指の強豪に台頭。2度目の出場となった第75回大会では準優勝を果たした。「本多先生に憧れてね。埼玉での高校野球の師匠は本多さんだと思っている」と敬慕する岩井隆監督が花咲徳栄を全国区のチームに育て上げ、出場5度目の第99回大会で、県勢の悲願である夏の高校日本一に栄達したのだった。
昌平はOBでもある黒坂洋介前監督が2005年に指導を始めると、熱心な指導で力をつけてきた。2023年9月から黒坂監督に代わり采配を振るう岩崎監督は、2020年1月にコーチ就任。当時から春日部共栄と花咲徳栄は特別な存在だったそうで、「2校に勝たなければ先はないと思ってきました。目標にしてきたチームであり、本多先生と岩井先生は本当にリスペクトしていますし、学んでもきました」と東部地区の“先人”を敬った。
東部地区で夏の甲子園、4校目の代表になれるか。浦和学院、花咲徳栄という優勝候補が中盤戦までに姿を消した。33歳の青年監督は「今日は喜んでいいが、すぐに気持ちを切り替えないといけません。次の戦いこそ重要ですから」と自らの口元を引き締めると、チームの手綱も締め直す覚悟を示した。
(河野正 / Tadashi Kawano)