「怪我してもいい」落合監督も諦めた名手の“掟破り” 10G逆転を呼んだ神走塁

荒木雅博氏は2011年6月28日の横浜戦で通算300盗塁を達成
中日は2011年、球団初のリーグ連覇を成し遂げた。落合博満監督のそのシーズン限りの退任が明らかになってからの大逆転Vでもあった。語り継がれているのが、元中日内野手で“足のスペシャリスト”でもあった荒木雅博氏(野球評論家)の神走塁だ。9月23日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)で超前進守備の中、井端弘和内野手の中前打で二塁から激走&ヘッドスライディングで生還した。「“嘘でしょ”って言いながら走ったのを覚えている」と振り返った。
2011年の荒木氏は6月28日の横浜戦(横浜)で史上27人目の通算300盗塁を達成。4回目の出場となったオールスターゲームでは7月22日の第1戦(ナゴヤドーム)で日本ハム・武田勝投手から本塁打も放ち「何でか、わかりませんよね。自分でもびっくりです」。プロ16年目も今まで通りのプレーを続けたが、この年の中日は苦しい戦いだった。8月2日時点で36勝41敗2分の借金5で4位。貯金15の首位・ヤクルトからは10ゲーム差をつけられた。
「10あったら、もう無理ですよね。でも、最後まで諦めるわけにはいかないと思ってやってはいました」。ゲーム差を縮めていき、試合前時点で首位ヤクルトに4.5差だった9月22日には衝撃も走った。本拠地・ナゴヤドームでのヤクルトとの直接対決4連戦前に中日球団は落合監督の今シーズン限り退任と高木守道氏の次期監督就任を発表した。
「もしかしたら今年で、(落合監督は終わり)じゃないかなと思っていたので、やっぱり、そうなんだって感じでした……」と荒木氏は話したが、中日はそこからさらに巻き返した。このヤクルト4連戦を3勝1敗で勝ち越して勢いづき、10月6日にはついに首位に立ち、そのまま突っ走り、10月18日には大逆転Vを決めた。
何と言ってもチームのムードを加速させたのが、9月23日ヤクルト戦での荒木氏の神走塁だ。中日先勝で迎えた直接対決第2ラウンド。8回に2-2の同点に追いつかれた直後の中日の攻撃だった。「映像としてよく出てきますからね。自分が見ようとは思わなくても、出てくるやつだし、やっぱり覚えていますよね」。2死から二塁打で出塁し、続く井端の中前打でヤクルトの超前進守備も何のそのの大激走、最後はヘッドスライディングで勝ち越し点をもぎとったシーンだ。
「実はあの時、僕ね、絶対無理だと思っていたんですよ。(三塁で)止めるでしょ、こんなの、って思いながらも、それまでは何があるかわからないから全力でいっていたら(三塁ベースコーチの)辻(発彦)さんが回しているんで、“嘘でしょ”って言いながら走ったのを覚えています。そこからもう一発、ギアを上げたって感じでしたけどね」。
直接対決でチームを勢いづけた神走塁「井端さんとの最高傑作でした」
井端の打撃も技ありだった。「あそこじゃなければね、ちょっと先っぽで芯じゃないんでね。ちょっと打球が死んだ感じのセンター前だったから還れたんです。あの抜かれた球を引っ掛けずに、よくあそこに持っていったなと。普通の右バッターは引っ掛けるんですよね。ショートゴロとか。ホント、昔から見てきた井端さんのバッティングでしたね」。試合後のお立ち台には2人で上がり、荒木氏は「井端さんとの最高傑作でした」と発言した。
直接対決第3ラウンドの9月24日の試合でも、2-2の9回2死一、二塁、谷繁元信捕手の左前打で二塁走者の荒木氏はまたもや激走&ヘッドスライディングでサヨナラホームイン。9月25日の第4ラウンドは敗れたものの、この直接対決を2つ勝ち越したのが、一気に中日逆転優勝の機運を高めたのは間違いない。荒木氏は落合監督から故障防止のためにヘッドスライディング禁止令が出されていたが、それを連日、破っての殊勲走でもあった。
「もう最後の方は怪我してもいいと思ってやっていたんで、常に行ってましたね。そりゃあ、肩とかに爆弾とかを持っていますから、本当は行きたくないですよ。でも中途半端に行くんだったら、もう思い切って、怪我しちゃえと思って、あそこ(23日)はちょっと気持ちが入りましたね。次の日(24日)もね。昨日還っておいて、今日還れんかったらいかんなと思って、気合が入りました」。そのヘッドスライディングも一瞬にして、いろいろ計算して行っている。
「三塁を回った時にキャッチャーの位置を見てます。目線だったり、動きだったり、この辺に来るだろうなと予測しながら、じゃあ自分はどこを、逃げにいこうかなって考えますね。まぁ、あの2つはそんなに難しいものじゃなかったですよ。ちょっと(送球が)それていたんでね」。最後は飛んでいるようにも見える。「もう勢いがあるんでしょう。そりゃあ怪我もしますよね。肩が上がらなくなってトレーナーにマッサージしてもらって試合に行くのが毎回でしたからね」。
最後は落合監督からも諦められたそうだ。「それまでは『(ヘッドスライディングを)やるなって言っているだろ』って言われていたのが『もうお前はいい。その代わりファーストだけにはするなよ』ってなりましたからね」。それにしてもミラクルな逆転Vだった。「びっくりしましたね。ホントにこんなことがあるんだなって感じですよね。あれよ、あれよです。あの年、僕が.263でチームでは最高打率でしたしね」。そして“オレ流指揮官”について、こんなことも付け加えた。
「落合さんはシーズン前半(の5月10、11日)に雨で地方(金沢、富山)のヤクルト戦を流した時に『このゲームは最後に絶対大事なゲームになる』って言っていて、それが、あのヤクルト4連戦になったんですよ。ボソッとが多いんですけど、そういうのも当たるんですよねぇ……」。日本シリーズはソフトバンクに敗れ、落合中日は幕を閉じたが、一選手として“オレ流指揮官”と過ごした日々は荒木氏にとってすべて財産。今もなお、自身の野球人生にも生かしている。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)