巨人戦での“プロの洗礼”「すべてが違った」 デビュー直後の2軍降格、一瞬で砕かれた自信

ヤクルト時代の鎌田祐哉氏【写真提供:産経新聞社】
ヤクルト時代の鎌田祐哉氏【写真提供:産経新聞社】

元ヤクルトの鎌田祐哉氏…プロ初登板で味方から叱咤激励

 2012年に台湾プロ野球の統一ライオンズで最多勝など3つのタイトルを獲得した鎌田祐哉氏がプロ入りしたのは2000年ドラフト。ヤクルトを逆指名して即戦力の期待を受けての入団だった。1年目の2001年はキャンプ、オープン戦とアピールして開幕1軍メンバー入り。開幕直後にはプロ初登板を果たすなど、プロ野球生活を順調にスタートさせたが、思ってもみない出来事が何度も起こった。

 早大を卒業するため最後の試験を受けた2月。沖縄での春季1軍キャンプに遅れて合流した鎌田氏は、秋田高出身の阿部茂樹ブルペン捕手からかけられた言葉で自信がついたという。「『すげえな、お前。いい球投げるな』って言っていただいて、やっていけるかなと思いました。秋田の先輩なので、気遣ってくれたのだと思います」。その後に受けてもらった正捕手・古田敦也からは「シュートがいいね」と言われたのを覚えているそうだ。

 開幕1軍メンバー入りすると、3試合目の4月3日、本拠地である神宮での巨人戦でプロ初登板を果たした。先発のニューマンが打ち込まれて5回から2番手でマウンドへ。先頭の仁志敏久(西武野手チーフ兼打撃コーチ)に甘く入ったスライダーを左翼線二塁打されると、遊撃を守っていた宮本慎也がマウンドに駆け寄り、激励してくれると思いきや「プロなめんなよ、しっかり投げろ!」と叱咤激励されたと振り返る。

 いきなり浴びた“プロの洗礼”。これで気合を入れ直すと、続く二岡智宏(巨人ヘッド兼打撃チーフコーチ)の送りバントを素早く処理して二塁走者・仁志を三塁封殺。大学時代にも対戦がある高橋由伸は中飛に仕留めた。

 ただこの後、一塁走者・二岡に二盗を決められ、2死二塁から松井秀喜に右中間二塁打され失点。清原和博を二ゴロに抑えて、何とか最少失点で切り抜けた。6回も続投したが、先頭の江藤智に四球を与えて交代。デビュー戦は1回0/3を2安打1四球1失点だった。次カードの中日戦は打者1人だけ投げて交代。翌日には2軍落ちとなった。

「開幕してから試合になった時に先輩たちの投球を見て、やっぱり凄いなと、プロは違うなと思いました。キャンプ、オープン戦とは違う迫力というか、球の質、コントロール、すべてが違いました」

ヤクルト、楽天などでプレーした鎌田祐哉氏【写真:尾辻剛】
ヤクルト、楽天などでプレーした鎌田祐哉氏【写真:尾辻剛】

突然のプロ初先発…6回1安打無失点の快投&プロ初安打初打点

 2軍での調整は長く続き、中継ぎ要員としての1軍復帰は優勝争いが佳境となっていたシーズン終盤。セ・リーグ優勝へのカウントダウンが始まっていた。9月25日、ナゴヤドームでの練習中。トイレで用を足していると、伊東昭光投手コーチが横に来て声をかけてきたという。「お前、明日先発な」。エース石井一久(楽天ゼネラルマネジャー)の腰の状態が思わしくなく、代役として突然プロ初先発が回ってきたのである。

 翌26日のナゴヤドームでの中日戦。初回に先頭の荒木雅博に四球を与えたものの山崎武司からプロ初三振を奪い、5回まで無安打投球を続けた。6回には相手先発・山本昌からプロ初安打初打点となる左前適時打を放ち、投げては6回1安打無失点の快投。後にレジェンドと呼ばれる相手を投打で圧倒し、プロ初先発で見事に初勝利を挙げたのだ。

「フワフワした気持ちでホテルに帰り、アイシングをしながらトレーナー室のテレビでパ・リーグの試合を見ていました」。そこで驚愕の光景を目にする。大阪ドーム(現・京セラドーム)でオリックスと戦っていた近鉄が、北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁本塁打で劇的な優勝を決めたのである。「スポーツ紙の1面をちょっと期待していたのに、完全に持っていかれました。僕は新聞を開いた先の、カラーでもない白黒の面でした。『これだけ?』ってくらい小さな記事だったような……。残念でしたが近鉄の優勝にやられましたね」。

 プロ野球選手がスポーツ紙に取り上げられるのは、もちろん活躍した時。中でも記念すべきプロ初勝利やプロ初本塁打は大きく扱われるケースが多い。鎌田氏は優勝争いの中でエース登板回避というチームの危機を救う快投に加え、プロ初安打初打点とバットでも勝利に貢献しており、スポーツ紙の1面を期待するのも当然である。しかし、ペナントレース優勝は別格の扱いとなる。しかも、史上初となるドラマチック過ぎる幕切れ。タイミングがあまりにも悪かった。

 1年目に先発したのはその1試合だけで、8試合に登板して1勝0敗、防御率0.59。チームは4年ぶりのリーグ制覇を果たし、日本シリーズでは4勝1敗で近鉄を破って4年ぶり5度目の日本一を達成した。最後までチームに同行していた鎌田氏は、いきなり最高の経験をしたことになる。「1年目はいい年でした」。自信をつけた2年目以降は先発の機会を増やしていった。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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