ヤクルト→楽天で感じたセパの違い 報道で“幻”に直面…待っていた非情通告「あっという間に」

鎌田祐哉氏、ヤクルトから楽天にトレード移籍
2000年ドラフト2位でヤクルトを逆指名してプロ入りした鎌田祐哉氏は、3年目に両リーグ1位タイの2度の完封勝利を挙げるなど先発ローテーション投手として活躍。しかし4年目以降は伸び悩み、成績は下降線をたどった。2006年に3勝をマークしたのを最後に白星から遠ざかり、防御率も悪化。2010年6月、渡邉恒樹投手との交換トレードで楽天移籍が決まった。
プロ野球界では球団発表前に報道が先行して出てしまうと、まだ選手に通達していないなどの問題が起こり、トレードが消滅することがある。トレード要員の一人となっていた鎌田氏も一度経験していた。「楽天とのトレード話が新聞に載ったことがあったんですよね。でもトレードにはならなくて。それで報道が出るとその話が消えるってことが本当にあるのかなって思っていました。でも、いつかトレードになるとは感じていたので覚悟はしてました」。
4年目以降、不本意な成績が続いた鎌田氏にはヤクルトでのチャンスが多くは残されていない状況。環境を変えることで、浮上の足がかりをつかめる可能性がある。6月14日、ヤクルトと楽天の両球団から正式にトレードが発表されると腹をくくった。「ヤクルトにいてもなかなか厳しい状況でしたし、秋田県出身の僕としては東北の球団ですし、前向きに捉えました」。家族を東京に残し、単身赴任で仙台へ向かった。
2005年に新規参入して6年目。前年パ・リーグ2位と力をつけていた当時の楽天には実績のある選手が多く在籍していた。投手では田中将大、岩隈久志、福盛和男、藪恵壹ら、野手では嶋基宏捕手、山崎武司内野手、中村紀洋内野手、小坂誠内野手ら、そうそうたるメンバーが並ぶ。翌2011年には同学年でヤクルト時代の同僚だった岩村明憲内野手と、のちに西武監督となる松井稼頭央内野手がともにメジャーから国内復帰して加わった。
「環境が違うところに行くというのは凄く貴重な経験。セ・リーグとパ・リーグでは全然違いました。パ・リーグの方が個性を凄く出せると感じました。表現が難しいですが、自由度が高いというか。セ・リーグの方が、きっちり型にはまっているような感じがしました」
「試行錯誤しているうちに、あっという間に時間が過ぎた」
セ・パの違いに刺激を受けたが、成績にはつながらなかった。マーティ・ブラウン監督が指揮を執っていた1年目。トレード相手だった渡辺がヤクルトで28試合に投げた一方、最後まで1軍に呼ばれることはなかった。2軍では11試合に投げて2勝1敗、防御率5.56では推薦されなくても仕方がない。
星野仙一監督が就任した移籍2年目の2011年は、東日本大震災にも見舞われチームは大きく揺れ動いた。鎌田氏は2軍では21試合に登板して2勝4敗、防御率3.10と前年より成績は良化したものの、2年連続で1軍登板なし。同年オフに戦力外通告を受けた。
楽天での1年半は「結局のところ投球フォームは悩み続けました」という。「ただ、最後の方は納得いく形になったかなと。実際、投げていて感覚も良かったですし、調子も良かったです。でも試行錯誤しているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまいました」。秋田出身右腕は輝きを取り戻すことができないまま、東北の地を去ることになった。
「プロで結果を残していて、移籍を経験している選手や、メジャー経験のある選手、パ・リーグでプレーしている若手の選手たちなど、自分にはない違った経験を多く聞くことができました」。パ・リーグでは結果を残せなかったものの、新しい球団でプレーできたことは大きな財産となっている。
(尾辻剛 / Go Otsuji)