9歳下ダルビッシュから「終わっちゃいますよ」 苦言から得た学び、逆に与えた影響

日本ハム時代の藤井秀悟氏【写真提供:産経新聞社】
日本ハム時代の藤井秀悟氏【写真提供:産経新聞社】

元ヤクルトの藤井氏…古田氏は「調子がいいとサインが一致」

 NPB4球団でプレーした藤井秀悟氏にとって、自らのキャリアは「どこが良かったというより、この順番で(移籍できて)良かった」と振り返る。ドラフトで入団したヤクルトでは、ウエートトレーニングを学んだほか、球種を増やすことができた。さらに移籍した日本ハムでは後輩からの刺激を受けたこともあった。

 ヤクルトでは8年間プレー。「(助っ人の)ハッカミーに教わって、ボールにマジックで握り方を描いて投げ込んでチェンジアップを覚えたんです。その後、石川雅規や川島亮ら新人王になる投手が入って来て、カットボールの存在を知り、教えてもらいました」。肘の手術で直球では勝負ができなくなった。4年目の2003年には高校時代、大学時代に続き3度目となる肘の故障。靱帯断絶で初めてのトミー・ジョン手術に踏み切った。「キャンプから痛くてなんとか開幕まで投げていたんですけど、やっぱり痛くて。3つくらい病院に行ったら、全部手術と言われて決断しました」。

 変化球を増やしたのは、捕手として絶対的な存在だった古田敦也氏の助言も大きかった。「新人の時から、『球種は増やせ』と言われました。あとは構えたところにある程度良い球を投げろと。配球は全部古田さんが考えてくれるので、僕はとにかく、古田さんのミットに良い球を投げるだけ。古田さんが打者の裏をかいてくれるし、今日の藤井ならどの球が良いとか、選択をしてくれるんです」。百戦錬磨の捕手に必死について行く若手投手の姿が、目に浮かぶ。

「時には、カウント3-2から自分の苦手な球を投げなきゃいけないこともある。古田さんのリードについて行くのは大変な時もあります。でも投手主体の配球をしてくれることが多くて投げやすいから、力をうまく引き出してもらえました」。登板を重ねるごとに呼吸も合っていったようだ。

「調子が良いと、僕が『これかな』と思う球種と古田さんのサインが一致するんです。そういう時は良い球が行くし抑えられる。2年目なんて持ち球も少ないしそこまでコントロールも良くないのに、それを上手くリードしてくれたから勝てたんです。最多勝を獲れたのも、僕じゃなくて古田さんがすごかったんです」。ヤクルトではトレーニングを学び、古田氏に長所を引き出してもらって、プロとしてやっていく土台を作ることができた。

ダルビッシュの影響「生活面でもしっかりしなきゃダメ」

 トレードで移籍した日本ハムでは、1年目の2008年こそ3勝にとどまったが、翌年は7勝。2年とも先発として110イニング以上を投げ、防御率も3点台と安定した成績を残した。「ヤクルトである程度トレーニングしていましたけど、日本ハムはまた違う動作のトレーニングでした。ヤクルトでの土台がなかったら、筋力がなくてついて行けなかったでしょうね」。このトレード移籍は、藤井氏にとっても最適な「順番」だったのである。

 新天地で影響を受けたのは、すでに絶対的なエースだった現パドレスのダルビッシュ有投手。「僕も先発だったので一緒に動くことが多かった。ダルビッシュはまだ細かったけど、僕の倍ぐらいの重さを挙げるんです。しかも単に重いものを挙げるだけではなくて、投球動作の中でどういう体の使い方をしたら良いのか、どこを強くしたら良いのか、といったことをすごく考えながらやっていましたね。彼の1週間の過ごし方を学んだことで、長くプレーできたと思っています」。

 時には苦言もあったという。「『もうちょっと変わらないと、今のままで終わっちゃいますよ』みたいなことを言われたんです。そこから僕も取り組み方が変わりました。生活面でもしっかりしなきゃダメ、みたいな話をされた覚えがあります」。逆に影響を与えることもあった。「僕の当時のガラケーを見て、ダルビッシュもデコレーションしていました。ブログも『よくそんなに書けますね』って言ってましたけど、彼もツイッターやブログも始めたりして。『お前、俺の影響受けてるな』とか言っていました(笑)」。

 日本ハムの2年間でも良い影響を受け、自身の糧にした藤井氏。FA宣言を経てセ・リーグへ戻ることになるが、そこでも良い出会いが待っていた。

(伊村弘真 / Hiromasa Imura)

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