搭乗直前の“呼び出し”「何かしたっけ」 一晩寝られず→突然の移籍…7試合だけの巨人生活

巨人時代の乾真大氏【写真提供:産経新聞社】
巨人時代の乾真大氏【写真提供:産経新聞社】

乾真大さんは2016年に日本ハムから巨人へトレード「気持ちを切り替えて」

 日本ハムでプレーしていた乾真大さんは、プロ6年目の4月、巨人へのトレードを告げられた。2012年にキャリアハイの36試合に登板して優勝も経験していたが、その後は登板数が減少。新天地では2年間プレーし、2017年限りで戦力外となった。計7年間プレーしたNPBでは制球難に苦しんだが、その後独立リーグで納得のいく投球を見つけることができた。

 2016年シーズンが開幕した直後の4月だった。筑後でソフトバンクとのファーム戦を終え、帰京の飛行機に乗る直前、マネジャーから「明日スーツで鎌ケ谷に来て」というメッセージが届いた。気になって仕方がなかった。羽田空港から帰宅する車に同乗していた同僚に打ち明けると、「トレードじゃね?」と言われた。考えても考えても、答えは翌日までわからない。

「ビックリしましたよ。『何かしたっけ、俺』みたいな。やっぱりトレードなのかな、とか。悶々として、夜ベッドに入っても全然寝られなかったです。翌朝鎌ケ谷に行って、『トレードです。ジャイアンツです』と言われて。ジャイアンツは一番予想していなかったです。ただ正直、この年はファームでもピッチングになっていなかったので、気持ちを切り替えてもう一回頑張ろうという感じになりました」

 兵庫県出身の乾さんだが、実は幼少期から巨人ファンだった。テレビ中継は巨人戦を見て育ち、松井秀喜や高橋由伸らのプレーに心を奪われた。それだけに「あのジャイアンツのユニホームを着られるのかっていうのも思いました。親に報告したときもビックリしつつ、喜んでいましたね」と明かした。

 巨人では同年2試合、翌2017年が5試合の登板に終わった。結果は伴わなかったが、かけがえのない時間を過ごせた。当時、杉内俊哉、内海哲也、大竹寛、山口鉄也ら経験豊富なベテラン勢がリハビリや再調整でファームにいた。「そういう方たちの練習を見られて参考になりました。結局はコントロールに苦しんでいましたけど、ジャイアンツに行っていろいろ教えてもらってちょっとはマシになって1軍でも投げられました」。

日本ハム、巨人などでプレーした乾真大氏【写真:町田利衣】
日本ハム、巨人などでプレーした乾真大氏【写真:町田利衣】

「30歳を過ぎてもどんどんよくなる。めっちゃうまくなったんです」

 しかし同年限りで戦力外通告を受ける。「まあ、そうだろうな。当たり前だよな」と現実を受け入れたが、「根本的なところを改善して終わりたい」と辞める選択肢は1ミリもなかった。そこから1か月強、鳥取県のワールドウイングで自主トレを行い、毎日フォームの見直しやトレーニングに没頭した。「7年間できなかったことが、めちゃくちゃ変わっていったんです。もっと早くやれよって感じなんですけど……戦力外になったからこそ、変われるチャンスがあったんだと思います」。自信を持って挑んだトライアウトでは、打者4人に対して3奪三振、最速147キロと力を示した。

 NPB球団からの声は掛からなかったが、独立リーグで現役を続行。富山で2018年にリーグ2位の14勝&同防御率2.28、2020年に神奈川で最多奪三振のタイトルを獲得するなど“無双”の働きを見せた。トレーニングから全てを変え、コーチ兼任となってからは意識改革も起きた。

「30歳を過ぎても、どんどんよくなる。めっちゃうまくなったんです。ビックリですよ。自分の体がちゃんと扱えるようになった。プロのときはその能力が低かったです。なんでこれができんかったんやろう、この能力があればもしかしたら変わっていたかもな……とは思いますね」

 NPB7年間で通算74試合に登板、1勝2敗2ホールド、防御率5.65という数字は決していいものではないかもしれない。しかし回り道をしてたどり着いた先に、納得のいく自分がいた。33歳だった2022年8月、まだ149キロを投げていた乾さんは、母校・東洋大からコーチの誘いをもらい現役を引退することを決断した。5年前に決めた「根本的なところを改善して終わりたい」という目標を達成し、次の道に歩み出した。

(町田利衣 / Rie Machida)

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