「末代までの恥」から15年…73歳の開星監督が“激変” 時代に適応、向き合う“今どき”の高校生

甲子園でノックを行う開星・野々村直通監督【写真:加治屋友輝】
甲子園でノックを行う開星・野々村直通監督【写真:加治屋友輝】

2010年春の選抜で21世紀枠選出校に敗れ「腹を切りたい」

 第107回全国高校野球選手権大会は6日、大会2日目を迎え、“ハラキリ監督”、“やくざ監督”などの異名を持つ開星(島根)の野々村直通監督が14年ぶりに甲子園に帰還。1回戦で宮崎商に延長10回タイブレークの末、6-5で劇的なサヨナラ勝ちを収めた。

「だんだん……」。73歳の老指揮官は試合後、島根の方言で「ありがとう」の意味を持つ言葉を繰り返しながら、報道陣や関係者に何度も頭を下げた。

 野々村監督は1988年、松江第一高(現開星)に野球部を立ち上げ初代監督に就任。1993年の夏、初の甲子園出場へ導いた。教え子には、DeNA、巨人で活躍し昨年限りで現役を引退した梶谷隆幸氏、現阪神の糸原健斗内野手らがいる。

 物議を醸したのは、2010年の春のことだった。前年の秋季中国大会で優勝し、選抜大会に出場したが、21世紀枠選出の向陽(和歌山)との初戦に1-2で敗れた。中国地区代表の名誉を汚してしまったという思いから、試合後「末代までの恥。腹を切って死にたい」と発言し話題になった。

 一見、強面で豪快なイメージ。2012年に出版した著書に自ら付けたタイトルは「やくざ監督と呼ばれて」。それでいて美術教員でもあり、画家としても活動し“山陰のピカソ”と呼ばれるなど、繊細な感覚の持ち主でもある。

 2012年3月の定年退職を機に開星監督の座も退任したが、2020年3月に請われて監督復帰していた。開星にとって甲子園出場は2017年夏以来8年ぶりだが、野々村監督にとっては2011年の夏以来14年ぶりで、同大会の1回戦で柳井学園(山口)を破って以来の白星となった。

 監督の座を離れている間に、時代も高校生の気質も大きく変わった。自身の体力も、若い頃に比べれば衰えを隠せない。

「仙台育英は大横綱、こちらは“ふんどし担ぎ”で勝負にならない」

「昔のように正面切ってつっぱるやつはいなくなり、今はインターネットの発達で自分の世界に入り、指導者に対して聞く耳を持たない子が多い。『この年寄りの言うことより、ネットの方が正しいんじゃないか?』という顔をしていますよ」と語る。そんな時代に合わせて高校生との接し方を変え「こちらも『好きにせい』、『それでいいよ』という感じです。どうしても気になる所があれば『こうした方がいいんじゃない?』という感じで言いますが、『これをしろ』とか『やらないやつは使わない』とか、昔の昭和の言い方はダメです」と“イメチェン”している。

 一方、野球の技術や戦術以外の“人間教育”に関しては譲れない。「ミーティングではいろいろ野球にからませながら『こういう人間になれ』、『こういう日本人にならなければいけない』といった人生訓を話します。そういう時には『10分やるぞ』と始めたものが、1時間になったりします」と頭をかく。

 2018年春の選抜大会から甲子園に導入されたタイブレークについては「好きではない。私は全然興味を持てない」とバッサリ。「ウチの野球はぶっちぎりで勝つか、ボコボコに負けるかです。練習試合で相手の監督から『タイブレークをやりましょう』と言われても、『引き分けで終わりましょう』と断ってきました」と明かす。

 それでもこの日、甲子園の大舞台でタイブレークを制することができたのは、「子どもたちだけで練習していた」からだという。

「私も60歳までは前のめりに倒れて死ぬつもりで、『俺が甲子園に連れていってやる』という昭和の野球をやっていましたが、73歳の今はやろうと思ってもできない。今回は子どもたちに連れてきてもらいました。まさか、この景色の中でこのユニホームを着られるとは思っていなかったですし、まして勝てるとは思っていませんでした」と感慨深げに首を垂れた。

「昔の野々村監督は“俺について来い”と自分でノックを打ち、自分でバスを運転して選手たちを遠征に連れていったりしていましたが、2020年に復帰されてからは、部員の考えや、われわれスタッフの言葉にも耳を傾けてくれています」。こう語るのは大谷弘一郎野球部長だ。

 森優晴内野手(3年)は「僕の15歳上の兄も野々村監督の教え子で、昔はめちゃくちゃ怒鳴ったりしていたそうですが、今はそんなことはありません」と証言。それでも「僕も監督を尊敬しています。メンタルを強くしていただいていると思います」とうなずく。

 老いてなお、“今どき”の高校生と正面から向き合い、変化と進化を止めない野々村監督。ただし、13日の2回戦で仙台育英(宮城)と対戦することについては、「向こうは大横綱、こちらはふんどし担ぎで、勝負になりません。全力を出し切り“玉砕”してくれればいい」といかにも昭和チックなセリフを口にしていた。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY