甲子園は「ディズニーランドやUSJと同じ」 弘前学院聖愛の快進撃生んだ原田監督の教え

「甲子園はディズニーランド、楽しまないともったいない」
第107回全国高校野球選手権大会は9日、大会第5日が行われ、4年ぶり3回目の出場の弘前学院聖愛(青森)は、日本ハム・新庄剛志監督の母校で強豪の西日本短大付(福岡)と対戦。1点リードしたものの、7回に追いつかれ、結局延長10回タイブレークの末3-4で惜敗した。原田一範監督が育てたナインの快進撃は、いったん終止符を打った。
「甲子園は最高の舞台だ。何億円、何兆円出しても、ここで試合をすることはできない。そういう意味ではディズニーランドやUSJと同じで、楽しまないともったいないぞ」
甲子園球場へ向かうバスの中で開いたミーティングの最後を、原田監督はこんな言葉で締めくくったという。
そして「もちろん、ミスも失敗もするだろう。しかし、ディズニーランドで昼飯の時に、ジュースを服の上にこぼして汚れてしまったとしても、それで1日中やる気がなくなることはないだろう。次の乗り物のことを考えて、気持ちを切り替えて楽しむだろう」と付け加えた。
試合終了後には、4回に相手の6番打者に先制2ランを浴びた場面を振り返り「2死走者なしからショート(丸岡侑太郎内野手=3年)がエラーをして、直後(に浴びた1発)だったので、展開の上では痛かった」と指摘した上で、「ショートも引いたのではなく、積極的に攻めた結果なので、よくやったと思います」と称えた。
そんな原田監督の取り組みは、非常にユニークかつ熱い。選手が主体的に考えるチームをつくるため、ミーティングには力を入れつつ、グラウンド上の攻撃ではノーサインを貫いている。
2001年の野球部創部とともに監督就任。「当初は人数が足りなくて、女子部員を入れていたほどです」と振り返るのは、当時から原田監督をよく知る小野寺仁副校長。周囲を驚かせたのは、原田監督が自費で古いアパート(現在築約50年)を買い取り、自宅兼寮として“一つ屋根の下”の選手教育に乗り出したことだ。
起床後20分間は寮内の清掃「寮生同士仲良くなれてうれしい」
現在も原田監督の寮(2階建て+屋上)には、野球部員69人のうち、希望者約30人が居住。以前は原田監督の家族も一緒に生活していたが、3人の娘が成長したこともあって、家族は別に自宅を設け、寮には原田監督だけが住む形を取っているという。
寮生の1人である荒関友雅投手(2年=この日はアルプススタンドで太鼓を打ち鳴らし、応援団をリード)は「自分は自立心を養いたくて入寮しました。起床後20分間は寮内の清掃と決まっていて、皿洗いもしますし、規律ある生活を送れていると思います。野球部員はみんな仲がいいですが、特に寮生同士で仲良くなれることがうれしいです」と説明する。
一方、室内練習場の代わりとして、農業を営む父兄の協力も得て学校施設内に、高さ5メートルほどのビニールハウスを大小2棟設置。人工芝を敷設した1棟では守備練習場やピッチング、地面が土の1棟では打撃練習を行っている。山崎投手は「恵まれた環境でなくても、工夫と努力次第で甲子園に来られることを実感しました」とうなずく。
「わが校はもともと(1999年まで)女子高だったこともあって、野球部の後援組織が整っていませんし、資金豊富とも言えません。原田監督もお金持ちというわけではないと思いますが、取り組みには頭が下がります」と小野寺副校長は感嘆する。
また、原田監督の3人の娘は、現在大学3年生の長女が元弘前学院聖愛野球部マネジャー。次女の璃乙(りこ)さんは3年生、三女は1年生の現役マネジャーだ。璃乙さんはこの日、記録員(スコアラー)として甲子園のベンチ入りを果たした。
「父とベンチに入って甲子園でのプレーを見られたことが、一番の思い出です。父がいたからこそ、みんなの倍、楽しめたと思います。気持ち的に、聖愛のマネジャーをやる意外の選択肢はありませんでした」。試合後の璃乙さんの表情は晴れやかだった。
弘前学院聖愛はこの夏、青森県大会の準決勝で青森山田、決勝で八戸学院光星に勝ち、県内2強”を連破。特に決勝は、1-3の2点ビハインドで迎えた9回に一挙5点を取って逆転し、その裏の相手の猛反撃を1点差でしのぐという劇的な展開(6-5)だった。ぜひまた、甲子園で見てみたいチームだ。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)