送球が右目に直撃 元巨人有望株を襲った失明の恐怖…原監督の言葉を胸に歩む“第2の人生”

巨人で育成選手としてプレーした黒田響生さんはアカデミー指導者に
夏の日差しが照りつける東京都内のグラウンド。端正な顔立ちで汗を拭いながら、子どもたちと野球に打ち込む元選手がいた。ジャイアンツアカデミーの講師となった黒田響生さんは巨人では育成選手だった。小学生たちの真剣な眼差しを見つめながら、ふと思い出すことがある。「あの時の監督やコーチがいてくれたから、今がある」。自分を支えてくれた指導者たちへの深い感謝がにじむ。
かつて巨人の育成選手として夢を追いかけた男が、今は子どもたちの夢を育む側に立っている。黒田さんは敦賀気比(福井)から18年育成ドラフト4位で巨人入り。スケールの大きい高卒の大型遊撃手として将来を期待され、坂本勇人への憧れを胸に、入団してきた。プロ1年目から2軍で試合に出場し、初安打初打点も記録。順風満帆なスタートを切った。
しかし、2020年8月の3軍戦で運命は一変する。キャッチャーの送球がランナーに当たり、跳ね返ったボールが右目を直撃した。眼窩底骨折、眼球運動障害、外傷性白内障・緑内障を併発する大怪我を負った。「ヘルメットに当たって跳ね返ったボールが目に来るまでのスローモーションのような感覚」は、今でもはっきりと覚えている。救急車で運ばれ、2週間の入院生活が始まった。右目の視力は著しく低下し、「このまま失明するんじゃないか」という恐怖が彼を支配した。
眼帯をしながらの生活の中で、遠近感が掴めないという現実と向き合わなければならなかった。そんな苦悩の中、一筋の光を照らしてくれた人がいた。当時の巨人・原辰徳監督の言葉だった。
黒田さんが救われた会話は、東京ドームの監督室での出来事だった。怪我のことを知った指揮官が黒田さんを呼んだのだった。
「『ありがとう』って言葉があるだろう? その意味を考えてみなさい」。原監督は続けた。「どんな出来事があっても、小難(しょうなん)で良かったなと感じられる人生にしなさい」。
“小難があるから有難う”という言葉の深い意味を、黒田さんは徐々に理解していく。その後も原監督は気にかけてくれ、顔を合わせるたびに声をかけてくれた。その温かさが、心に染みた。
4年目に戦力外通告、ジャイアンツアカデミーで新たな人生
4年目の秋、戦力外通告を受けた。パフォーマンスは完全には戻らず、感覚も身体の反応も以前の自分とは違っていた。悔しさはあったが、プロで野球をやれたこと自体が「ありがたい」と心から思えた。野球への情熱は消えることなく、今度は教える側として野球と向き合うことになる。戦力外通告は終わりではなく、新しい始まりだった。
現在、ジャイアンツアカデミーで子どもたちに野球を教える黒田さんがもっとも伝えたいのは「楽しむことを忘れないで」ということだ。怪我をしてから強く思ったのは、もっと野球を楽しんでやればよかったという後悔だった。
どんなに順調に見える選手にも必ず壁はある。その時に逃げず、言い訳せず、「やり続ける力」が大事だと子どもたちに伝えている。「あの怪我がなければ……」と思っていた時期もあったが、そう思っていたら前には進めない。壁を乗り越えた先にこそ、本当の成長があることを自らの経験を通じて教えている。
視力に障害を負った野球選手が、新たな使命を見つけて歩んでいる姿がそこにあった。「あの怪我がなければ、今のこの経験もなかった」と語る黒田さんの言葉には、もう迷いはない。夏の陽射しの中で輝く子どもたちの笑顔に囲まれる日々を過ごしている。原監督から教わった「ありがとう」の本当の意味を、今度は次世代に伝えていく。
(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)