古巣に対して「後悔させてやる」 30歳でテスト入団…開幕直前に“試練”も貫いた不屈の精神

広島時代の加藤伸一氏【写真提供:産経新聞社】
広島時代の加藤伸一氏【写真提供:産経新聞社】

加藤伸一氏は12年目オフにダイエーを自由契約となり広島にテスト入団

 元ホークスエース右腕の加藤伸一氏(KMGホールディングス硬式野球部監督)はプロ12年目の1995年オフに福岡ダイエーから自由契約選手となり、広島にテスト入団した。戦力外にした古巣を見返すことがエネルギーになったという。「もう1回頑張って(ダイエーを)後悔させてやる、見とけよ”ってね」。広島1年目の1996年開幕前に左太腿肉離れの怪我に見舞われたが「ガンガン、テーピング」で登板し、気迫で乗り越えた。

 1995年10月、ダイエーから戦力外通告を受けた加藤氏は、大阪の知人から誘われたアパレル業界への転身を考えながら、野球を続けたい思いを捨てきれないでいた。そんな時にあったのが、ホークスの先輩で、1994年にダイエーから広島に移籍していた井上祐二投手からの電話だった。「(広島監督の)三村(敏之)さんが僕に興味を持っているという話でした。それでテストを受けに行くことになったんです」。

 場所は広島・廿日市市にある大野練習場だった。「大野の(室内練習場ではなく)外のブルペン。瀬戸内海に向かってね。『ユニホームで』って言われて、ジャージーしか持っていってなかったので、井上さんの背番号27のカープのユニホームを借りて、軽くアップしてから30~40球くらい投げたかな。キャッチャーは水本(勝巳ブルペン捕手、現オリックスヘッドコーチ)。三村さんと(1軍投手コーチの)川端(順)さんの前でね」

 広島からロッテに移籍し、その年に自由契約になった白武佳久投手とともにテストを受け、投げ終わると「三村さんに『ちょっと帰りに(広島市民球場内の)球団事務所に行ってくれ』と言われた」という。「“えっ、これで”って思ったけど、僕も早く安心はしたいから市民球場に行って、松田耕平オーナーの部屋で契約の話を聞きました」。広島入りを決めた。振り返れば井上投手から連絡がなかったら野球を辞めていた可能性もあった。まさに運命を変えた電話だった。

 背番号は12。早速、宮崎・日南市で行われた広島の秋季キャンプに参加した。「きつかったですよ。練習が。えーっ、そんなのやらされるの、30代に、って思いました」と笑いながら話したが、新天地で黙々と汗を流した。オフシーズンになっても気を抜かなかった。「キャッチボールは毎日。相手がいないときは壁に当てて、嫁さんに拾ってもらった。ゴルフに行っても終わった後に連れに相手を頼んで投げた。それはずっと続けました」。

 年末も正月も休まなかったそうだ。「ルーズショルダーは1週間休んだら、投げられるようになるまで2か月かかる。それに気付いたんです。とにかく張らす。常に張らす。ウエートトレとかじゃなくて球投げで張らす。休んだら駄目。それは引退するまで続けました。その時に覚えたけど、もっと最初の頃から分かっていたら(通算92勝ではなく)150勝や160勝もできたんじゃないかと思う」。

ダイエー、広島などでプレーした加藤伸一氏【写真:山口真司】
ダイエー、広島などでプレーした加藤伸一氏【写真:山口真司】

広島1年目に試練、開幕前に左太腿肉離れ

 時間を見つけてはバッティングセンターにも通った。「(セ・リーグは)打席も回ってくるし、そこでバント練習とかをやりました。せめてそれくらいはね。やろうと思えばできることだから。それが功を奏して(シーズンでバントの)失敗は結構少なかったしね」。広島で何が何でも結果を出す。その意気込みの表れでもあっただろう。そこには、古巣・ダイエーを見返したいとの強い思いもあった。

「あの時は僕もまだ30(歳)の若造。(ダイエーに対して)見ておけよ、もう1回頑張って後悔させてやるっていうのが、ひとつのエネルギーでした。(ダイエー監督が)王(貞治)さんの体制の時にクビになった。クビにしたのはフロントだったかもしれないけど、気分はよくないですよね。別に王さんが憎くてじゃなくて、やっぱり悔しかったんです」。家族を福岡に残して広島には単身赴任。妻や子どもたちのためにも、ここで終わるわけにはいかなかった。

 キャンプ、オープン戦と順調にクリアした。「いい感じでそれなりに投げられた。(右肩などに)違和感もないし、ひっかかりもない。時間が空いたら、とにかく体のメンテナンス。まず健康が第一ですから。せっかく拾ってもらったし、野球をしに行っているわけですからね。自信もありましたし、充実していましたよね」。だが、そんな時でも試練はやってきた。左太腿肉離れに見舞われてしまった。

「もう開幕が近くなった時ですよ。遠征先で、どこだったか、社会人チームのグラウンドで練習したんですけど、ランニングでバチってやってしまったんです。肉離れを。その時はもう(開幕5戦目、4月10日の横浜スタジアムでの)横浜戦の先発を言われていた。いきなり(登板回避)はアカン、投げないとアカンと思って、トレーナーにだけ言って(首脳陣には)内緒にしてもらいました。で、ガンガン、テーピングして投げました。結果はよくなかったですけどね」

 この試合、広島が6-5で勝ったが、先発の加藤氏は5回5失点だった。「でもね、(横浜4番打者のグレン・)ブラッグスにインコースをガンガンガン攻めたし、ファイティングスピリットを見せることはできた。これは後々生きるぞって思った。実際、そうでしたからね」。怪我にも屈せず、前を向くことができたのも、その年にかける気持ちがあったからこそだろう。持ち味のシュートを武器に赤ヘルの背番号12はここから躍動しはじめる。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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