甲子園制覇を支えた見えない絆 日大三OB・近藤一樹が語る同級生復活とライバル校の友情

センバツ敗戦が生んだ守備革命 箸で豆つかみ練習も
第107回全国高校野球選手権大会で日大三(西東京)は決勝で沖縄尚学(沖縄)に1-3で惜敗し、2011年以来14年ぶり3回目の優勝はならなかった。日大三が2001年夏の甲子園優勝投手でプロ野球でも活躍した近藤一樹さんは、今大会のエース・近藤優樹投手と名前が1文字違いということもあり、再脚光を浴びた。本人だけでなく、優勝した年がフォーカスされたが、近藤さんはポッドキャスト番組「Full-Count LAB」に出演した際、夏の全国制覇への転機となったひとつの敗戦があったことを明かした。
日大三は2001年のセンバツ3回戦で東福岡に敗れた。敗因は守備のミスだった。後に中日に入団し、打撃の中心だった二塁手・都築克幸さんが1イニングで3失策を犯し、その回だけで5点を失った。3-8で敗れたこの試合が、夏への転機となる。
この敗戦後、「負けた後の宿舎で小倉全由監督が『お前らなら、てっぺん取れる』と言ってくれました。でも負けた直後で、何を根拠に言っているのか分からなかった」と近藤さん。無理もない。失策から大量失点して負けているからだ。都築さんはチームの1番打者として5割超の高打率を誇る強打者だったが、当時の守備には課題があった。最初は理解するのに苦労した。
東京に戻った日大三は、従来の強打に加えて守備練習を大幅に強化した。小倉全由監督の都築さんへの指導は徹底していた。グローブの指の入れ方から見直し、「5本指しっかり入れろ」と基本から叩き直したという。さらに驚くべきは食堂での特別メニューだった。「箸で豆をつかんで全部移し替えてから試合に出るみたいなこともやっていました」と近藤さんは振り返る。野球以外の練習にも度肝を抜かれた。
守備練習では小倉監督からゲキが飛んだ。しかし、厳しさの裏には小倉監督なりの深い愛情があった。近藤さんは都築さんへの厳しい指導を複雑な思いで見つめていた。「監督が守備に関しても期待しているのも分かってたんで、遠目でかわいそうだなって思っていました」。
しかし、それはしごきでなく愛のある指導だと後に理解ができた。指揮官の中では都築さん抜きでは頂点にはいけないとわかっていた。一人の選手の可能性を信じ、夏に向けて徹底的に鍛え上げていた。夏の西東京大会で、大きく成長した都築さんは打ちまくり、守備では無失策。甲子園での守備も完璧だった。

運命が演出した決勝戦の最後
また、ライバル校との固い絆もあった。01年優勝時の主将・杉山智広さんを「Full-Count LAB」のスタッフが取材。当時、選抜で敗れた東福岡のメンバーから甲子園の宿舎に電話があったという。同校の夏は県大会で終えており「俺たちの分も頑張って優勝してくれ」という熱い友情の電話だった。
電話をかけたのは、当時の東福岡の主将だった福原佑二さん。福原さんは現在、九州アジアリーグに準加盟する佐賀アジアドリームズ代表取締役を務めており「当時のことは覚えています。杉山キャプテンとは今でも繋がっていて、一緒に野球界の発展について意見交換しています」と懐かしく振り返った。杉山さんは日大の職員でもあり、大学準硬式野球連盟の運営やBASEBALL5の振興に携わっているなど、二人の主将は甲子園を通じて生まれた繋がりを大切にしていた。
2001年夏の甲子園決勝戦。日大三は近江(滋賀)との一戦に臨み、5-2で勝利し、優勝した。近藤さんは1998年の松坂大輔選手(当時・横浜高)のように「最後は三振で仕留めて、ゲームセットしたかった」という思いがあった。しかし、運命は違うシナリオを用意していた。
9回1死二塁。6番打者の打球は都築さんが守る二塁へ。右翼へ抜けそうな強い打球を追いつく好捕。抜けていたら2点差に詰められる可能性もあった。そして、最後のアウトもセカンドゴロだった。センバツで3失策を犯し、厳しい練習に耐え抜いた同級生が、全国制覇の瞬間を演出した。「都築で終わったのも何か不思議な縁を感じています」と近藤さんは語る。
24年前の夏、日大三の頂点への道のりには数々のドラマがあった。後輩たちは今年、惜しくもあと一歩のところで優勝を逃したが、戦ってきたその過程や仲間とのつながりを大事にしてほしいと願う。最後のアウトをとった仲間の成長物語は、チーム一丸となって駆け抜けた夏の象徴でもあった。