止まらぬ野球人口の減少…栗山英樹氏が抱く“危機感” 求められる指導者のあり方

スポーツ庁主催「産官学連携フォーラム」
野球さえできればいいという時代ではない――。スポーツ庁などが主催する「部活動の地域展開・地域クラブ活動の推進に向けた産官学フォーラム」が25日、東京都内で行われ、日本ハムのチーフ・ベースボール・オフィサーを務める栗山英樹氏がパネルディスカッションに参加。中学時代にバレーボール部に所属していた自らの話を交え、複数の競技を経験する意義に言及した。
日本ハム監督時代の2016年に日本一、日本代表監督を務めた2023年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を制して世界一となった栗山氏。室伏広治スポーツ庁長官らとともに登壇すると、野球人口の減少の話題に「それは僕が一番心配している」と懸念を示しつつ「野球に限らず、子どもたちの人口が減っていく中で、それぞれのスポーツ関係者の皆さんがどうしていくべきかすごく考えていかないといけない」とスポーツ界を見渡して発言を続けた。
「1つのスポーツに特化しすぎない方がいいとずっと言われてきました。実は僕、中学校の時はバレーボールを本当に真剣にやっていました」。小学生時代の1972年ミュンヘン五輪で、男子バレーボール日本代表が金メダルを獲得。松平康隆監督の講演にも足を運び、その魅力に夢中になったという。「でもバレーボールを無理してやりすぎて、ムチャクチャやって腰を壊し、膝を壊し、スポーツができなくなって、野球に戻ってきたんです」。
そんな経験もあり「1つのスポーツが良ければそれでいいという時代は終わっている。自分も体験させてもらったし、いろんな経験が最終的にプラスになって働く。みんなで意見を出し合っていくのは重要です」と強調する。「華道部に入ったっていい。楽しくやっていくのが大事。花を生けられるような華麗で繊細な華道部出身の投手が生まれたらうれしい」と異色の“二刀流プラン”も示した。

二刀流の成功「本人が『やったら面白い』と思っていたから」
日本ハム時代の教え子であるドジャース・大谷翔平投手も小学生時代は水泳を習っていたのは有名な話だ。関節の柔らかさを培うきっかけにもなった。その大谷が日本ハム入団時、投打の二刀流を提案し、私生活にも厳しく目を光らせたのが栗山氏。指導法の話の際には「指導者は議論を尽くして、やるって決めたら本当にやり切らないといけない」と語気を強め「分かりやすい例で言うと『二刀流』なんです」と自ら切り出した。
「最初は全員が『無理だ』って感じで思っていました」と当時の厳しい風当たりを回顧。それでも「なぜこれ(二刀流)が実行されたかというと、本人が『やったら面白い』と思っていたからだと感じます」と大谷の思考と一致したことを成功の秘訣の1つに挙げた。「周りの大人が真剣に考えていないと子どもたちに伝わってしまう。1人1人、本当に真剣に考えないと前に進んでいかない」。熱い思いが指導の根底にある。
今年6月には、中学校部活動の地域展開に対して発足した「中学球児応援プロジェクト」のアンバサダーに、教え子である元日本ハム投手の斎藤佑樹氏とともに就任。「いろんなことを調べていますけど、子どもたちをどうやったらスポーツやクラブ活動に集めることができるのか、本当に難しい」と頭を悩ませつつ「いろんな人と連携してやっていくことに意味がある」と前を向く。
柔軟で大胆な発想があったからこそ生まれたのが「二刀流・大谷翔平」。子どもの人口が減っていくのは避けられない中、“第二の大谷”が生まれる鍵は、指導者の発想にかかっているのかもしれない。
(尾辻剛 / Go Otsuji)