大谷のド軍初勝利にあった“一致” 思い起こす重いエ軍の会見室も…変わらなかった行動

靭帯損傷が発覚した日もレッズ戦…大谷の笑顔と対照的だった会見室
【MLB】ドジャース 5ー1 レッズ(日本時間28日・ロサンゼルス)
奇しくも対戦相手は同じだった。ドジャースの大谷翔平投手は27日(日本時間28日)、本拠地・レッズ戦で5回1失点で移籍後初勝利を挙げた。2023年9月に2度目の右肘手術を受けてから1年以上の長いリハビリ生活を乗り越え、待望の白星を挙げた。
試合後の取材では「元のように投げられるようになるのかなという、不安みたいなものはあった」としつつ「すごく落ち込むっていうことはなかった」と言い切った。思い起こすのは、エンゼルス時代の2023年8月23日(同24日)のレッズ戦。会見室に漂った重苦しい雰囲気とは裏腹に大谷の表情は明るさを見せていた。
この日は本拠地でのレッズとのダブルヘッダーだった。第1戦で大谷は2回で緊急降板し、打席でも3回に代打を送られた。第2戦終了後に予定されていた大谷の会見はなくなり、エンゼルスのアダム・チョズコ広報部長が「ペリー(ミナシアンGM)が話す。ショウヘイは話さない」と伝えた。
チョズコ広報の深刻そうな表情を見て、日米の記者が一斉に携帯を取り出した。その後、ミナシアンGMが右肘の内側側副靱帯に損傷があることと、同年は投手としてのシーズンを終えることを宣言した。
エンゼルスの会見室は重苦しい空気が漂っていた一方で、第2試合の大谷は笑顔だった。靭帯損傷が判明した直後も「2番・指名打者」で出場。二塁打を放つと、エリー・デラクルーズ内野手と談笑する場面もあった。あの日から2年が経過。大谷はドジャースへ移籍し、1児の父になった。環境こそ変われど、塁上でデラクルーズと仲良く話す姿は当時と同じだった。
ドジャース移籍後初勝利だったが「感極まるところはないですけれど、打席がその後もちろんあるので」と普段通りだった。誰よりも復活を信じ、リハビリに取り組んでいた大谷。本人にとっては通過点に過ぎない。
(川村虎大 / Kodai Kawamura)