19歳の大谷翔平に受けた衝撃「走りながら登場」 元NPB助っ人が忘れぬ“規格外”「書いてない」

西武でプレーしたスピルボーグス氏が振り返るプロ1年目の大谷翔平
2013年に西武でプレーしたライアン・スピルボーグス氏(当時の登録名はスピリー)がドジャース・大谷翔平投手を初めて見たときの印象を語った。2013年、大谷は日本ハム入団1年目。スピルボーグス氏は「日本にいた頃、オオタニが登板した試合を見ることができたんです。でも、右翼から登場したんです。8回に19歳(の大谷)が走りながら登場してきたんですよ」と振り返った。
20日(日本時間21日)に行われたドジャースとロッキーズの試合、ロッキーズ放送局「Rockies TV」で解説を務めたスピルボーグス氏は、プロ1年目の大谷が右翼手から投手にポジション変更したときの様子を語った。実況のドリュー・グッドマン氏が「右翼手として出場していたんですよね? 右翼にあるブルペンではないんですよね?」と聞くと、「はい! 右翼を守っていて、走りながら登場してきました。ライトスタンドにいた観客全員(の反応)はアメージングでした。飛んだり、チャントを始めたんです」と当時の球場の様子を伝えた。
スピルボーグス氏はそれまで大谷がどんな選手かよく知らなかったと言う。ただ、力強いスイングは敵チームの中でも印象に残った。「19歳にしてはいいスイングをしていました。彼を見て思い出したのは、(1993年に首位打者を獲得した)ジョン・オルルドでした。オオタニが子犬だった頃、いつも左中間に打っていたからです。痩せていましたがパワーはありましたよ」。
続けて、「(日本は)全てキロ表記だったから、マイル表記に換算する表を持っていたんです。でも初対戦の時に159キロ投げられて、『待ってくれ。(99マイル表記の換算が)紙に書いてないじゃないか!』と思ったんです! 99マイルですよ」と大谷の速球に驚いたことを語り、「誰もそんな(球速を)投げていなかったんです。(日本で)大抵の投手は148~150キロくらいだったんですよ」とプロ1年目の大谷との対戦で受けた衝撃を語り、19歳が秘めていたポテンシャルを称えた。
日本ハムで始まった大谷のプロ生活。1年目は打者として打率.238、3本塁打、20打点。投手としては13試合に登板し、61回2/3を投げて3勝0敗の成績を残した。
(Full-Count編集部)