わずか3年で戦力外→6年後育成オファー 「クビになって変われた」“覚醒”の裏にあった覚悟

ヤマハの網谷圭将は2016年からDeNAの育成選手として3年間プレー
8日に幕を閉じた第96回都市対抗野球大会で、4強入りしたヤマハの主軸を務めたのが網谷圭将外野手だ。DeNA時代は支配下に上がれずわずか3年で戦力外となったが、社会人での躍動ぶりは、昨年ソフトバンクから育成でのオファーが来たほど。今年9月の「第31回 BFA アジア選手権」に出場する侍ジャパン社会人代表にも初選出された。“覚醒”の裏には、「クビになって、そこで自分の心構えが変わっていった」という強い覚悟があった。
「人間失敗してからじゃ遅いかもしれないんですけど、僕は一回クビになって本当の失敗をしたので。そこでまだまだなんだなというか、甘かったなっていうのを感じました」
社会人7年目を迎えた27歳は、自らの過去に真っすぐに目を向ける。2015年育成ドラフト1位でDeNA入り。ルーキーイヤーには春季キャンプの紅白戦で2安打を放ち後半から1軍に合流も、すぐに故障で離脱した。2016年も1軍キャンプに抜擢されるなど右の大砲候補として期待は高かったが、3年間で支配下に上がることなく戦力外となった。
「怪我も含めて実力なので、言い訳はしたくないです。プロ時代は心技体どれも揃っていなかったというのが本音で、『それは結果出ないよな』って今は思います。そうやって客観視できるくらいのレベルに来たというのは、それもいい経験だったといえるのかなと思います」
「野球をやっている以上は最高峰でやりたい。でも自分と向き合いながら」
言葉通り、苦い経験を糧に社会人の舞台で頭角を表した。2023年には台湾で行われた「2023アジアウインターベースボールリーグ」にJABA選抜の一員として参加し、打率.443&27安打で“2冠”。社会人最高峰の舞台でもある都市対抗に7年連続出場し、今年も東京ドームの舞台で本塁打を放った。実は昨年の大会後には、ソフトバンクから育成のオファーが来ている。育成とはいえ、契約金や年俸は支配下と遜色ないほどだった。
「何ていうんですかね……7年積み上げてきたものがあって、育成スタートというのは僕からしたらちょっと……。全てを捨てて勝負するという立場じゃないですか。もう家族もいるので。お金をいただいたとしても、その覚悟はやはり、それだと決めきれなかったという感じですね」
NPB復帰への思いが全くないわけではない。20代後半でも道が拓けることに、チームの後輩たちは「そこまでチャンスがあるんだ」と目を輝かせていた。自分の頑張りが“道標”となり、社会人の舞台で奮闘する選手たちのモチベーションを高めることもわかっている。
「もう今年(10月で)28歳なのでかなり狭き門になりますけど、野球をやっている以上は、最高峰でやりたいというのもあります。でもそこを目指すというより、自分を成長させる、常に自分と向き合いながらやっている感じですね」
7月下旬から行われた選考合宿を通過し、ついに社会人日本代表として日の丸のユニホームにも袖を通す。プロでの“失敗”が終わりではない。網谷の野球人生はそれを体現している。
(町田利衣 / Rie Machida)