中田翔の歩んだ18年間 3チームでの現役生活…傷だらけで残した数々の記録

現役引退を決めた中田翔の18年間
中日の中田翔内野手が8月15日、今季限りで現役を引退することを発表した。パ・リーグで3度の打点王を獲得し、日本ハム在籍時にはリーグ優勝、日本一にも貢献した。そんな中田の巨人、中日移籍後も含めた18年を振り返る。
大阪桐蔭高時代に春夏合わせて甲子園に3度出場。4本塁打を記録し、プロ入り前から将来を嘱望されていた。2007年高校生ドラフトではオリックス、阪神、ソフトバンク、日本ハムの4球団に1巡目で指名され、交渉権を獲得した日本ハムへ入団した。
プロ初出場は2年目の2009年、札幌ドームで行われた5月23日ヤクルト戦。「7番・DH」で初スタメンに抜てきされ、初打席で初安打となるレフト前ヒットを記録した。同年9月27日のソフトバンク戦では犠牲フライで初打点を挙げる。待望のプロ初ホームランは、プロ3年目の2010年7月20日ロッテ戦。通算91打席目で、札幌ドームのレフトスタンドに放り込んだ。
レギュラーに定着したのは143試合に出場したプロ4年目の2011年以降だった。2012年には144試合でスタメンを張り続けてリーグ優勝に貢献した。リーグ2位の28本塁打、打率は初めての3割、長打率.550の好成績だった2013年はベストナインを初受賞すると、2016年まで4年連続で同賞に選出された。
日本ハムが4年ぶりにパ・リーグを制した2016年。141試合に出場してチームを引っ張った中田は、キャリアハイとなる110打点で打点王を獲得。この年はポストシーズンも好調で、クライマックスシリーズではMVP、さらに日本シリーズでも第4戦に本塁打を放つなど、球団として10年ぶりの日本一にも貢献した。
パンデミックの影響で120試合の短縮シーズンとなった2020年。中田は大阪桐蔭高校の後輩である浅村栄斗内野手と最終戦までホームラン王争いを演じ、注目を集めた。最終結果は中田選手が31本、浅村選手が32本。1本差で最多本塁打のタイトルに及ばず、打撃2冠も叶わなかったが、108打点で自身3度目の打点王に返り咲いた。
勝利のために打点を積み上げてきた。そのプレースタイルの現れともいえるのが「犠飛」の数だ。2018年に13犠飛を打っているが、これは1シーズンの犠飛の数として、大杉勝男氏に次ぐ歴代2番目の記録として今も残っている。また、通算76犠飛は歴代15番目。現役時代の多くを広い札幌ドームでプレーをしてきた中田が、チャンスで長打力を発揮してきたことがうかがえる。
3球団で16年連続開幕スタメンを張った
バッティングに目を奪われがちだが、守備も一級品だ。三井ゴールデン・グラブ賞を2015年に一塁手で初受賞すると、2016年、2018年、2020年と日本ハム時代だけで4度も選ばれている。
2021年8月に巨人へトレード。移籍初年度の成績は34試合に出場して3本塁打を放つが、打率は.154だった。しかし、移籍2年目となった2022年はファーストのレギュラーに定着し、オールスターゲームにファン投票で選出された。ただ、その後に新型コロナウイルス陽性判定で出場辞退となった。同年8月23日には平成生まれでは初となる通算1000打点を達成。3年ぶりに100試合以上に出場し2桁本塁打を放った。セ・リーグでは初めて三井ゴールデン・グラブ賞を受賞し、攻守で復活を印象づけた。
2023年8月6日には故郷・広島でプロ野球史上45人目となる通算300本塁打を達成。こちらも平成生まれの選手では初の快挙だ。一方でシーズン成績は前年より低迷。オフに巨人からの退団、そして中日への移籍が発表された。
中日の一員として迎えた昨季の開幕戦。「4番・一塁」でスタメン出場した中田は、同点で迎えた5回にレフトスタンドへホームラン。試合には敗れてしまったものの、早速持ち味を発揮した。ところが故障に見舞われ、昨季は62試合の出場で4本塁打、21打点と振るわずだった。
そして今季も「6番・一塁」で開幕スタメンとして出場。36歳の誕生日だった4月22日には今季2号ソロを打ったが、腰痛のため5月13日に出場選手登録を抹消。8月7日に再昇格するも5日後に再び抹消され、現役引退の表明に至った。
日本ハム、巨人、中日と活躍の場を移しながらも、2010年から今季まで16年連続で開幕スタメンを飾り、オールスターには計10回選出。国際大会でも日本打線の中心として期待され、2013年と2017年にWBC、2015年プレミア12にも出場した。「大将」のニックネームで愛され、「4番」が似合ったプレーヤー。9月19日、バンテリンドームで引退セレモニーが行われるとのこと。パ・リーグファンにとっても、目に焼き付けたい試合になりそうだ。
(「パ・リーグ インサイト」菊地綾子)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)