ヤンチャだった中田翔が野球に向き合った日 “恩師”に届いた元旦の電話…覚醒前夜の裏側

日本ハム時代の中田翔【写真提供:産経新聞社】
日本ハム時代の中田翔【写真提供:産経新聞社】

入団時に日本ハムのコーチだった大村巌氏「ヤンチャで有名だったからね」

 今季限りで18年間の現役生活に幕を下ろす中日の中田翔内野手。若かりし頃は自由奔放な発言や行動で数知れないほどの逸話を残した選手だった。2007年高校生ドラフト1巡目で入団した日本ハムで2軍打撃コーチを務めていた大村巌現DeNA野手コーチ兼スコアラーには、忘れられない1本の電話がある。

 入団当時から話題に事欠かない男だった。2軍施設の鎌ケ谷での日々を、“育ての親”ともいえる大村コーチは「いやあ、本当にヤンチャで有名だったからね。野球より、私生活の指導ばかりしていましたよ」と苦笑いで振り返る。大阪桐蔭高時代に通算87発を放ち「平成の怪物」と呼ばれたスラッガーを一人前に育てるのは至上命題だったが、もはや最初は“それどころではない”状況だったのだ。

 2年目の2009年に1軍デビューした中田は、3年目だった2010年に65試合に出場して9本塁打と飛躍の足がかりをつくった。そんなシーズンを終え、2011年を迎えた1月1日の午前0時ちょうど、大村コーチの電話が鳴った。中田からだった。

「たまに選手から挨拶の電話が来ることはあったけど、翔からだったので『どうしたんだろう』と思って出たら、『僕、今までガキでした。野球にちゃんと向き合わずに口ばかりでした。3年経って格好悪いと思いました。心を入れ替えて、今年からいきます。よろしくお願いします!』って。『どうしたんだ!? やっと気付いたか、すごい成長したな』って驚きましたよ。でもね、高卒3年なら早い方。5、6年かかることが多いですから」

「何のために野球をしているんだ」の問いに返ってきた「好きやから」

 覚悟を持って挑んだプロ4年目、1試合欠場したものの143試合に出場して初めて規定打席に到達。いずれもリーグ3位の18本塁打&91打点と覚醒した。4番を任される試合もあり、球宴にも初出場。元旦の誓いを“有言実行”して、スター街道を駆け上がっていった。

 キャンプ中のある日、夜間練習を命じたのに中田が室内練習場にいないときがあった。大村コーチが探しに行くと、テントでひとり、素振りをしていた。「『みんながいるところでは打ちたくない』って言って。繊細な子だよね」。2人きりで交わす会話は次第に深みを増した。「翔は何のために野球をしているんだ」と問いかけると、「好きやから」と返ってきたという。

「引退会見で『最後は野球を好きになって終わりたい』と言っていた。18年前のあの言葉が今、繋がってくる。いろいろあったけど、本当に野球が好きでやっていた。翔にはスター性、カリスマ性、インパクトがあった。野球がうまいだけじゃない、そういう選手ってなかなかいないですよね」

 チームは変わっても、師弟関係はずっと続いた。2023年オフには、中日移籍が決まった中田から「ドラゴンズに行って終わろうと思う」という覚悟を打ち明けられていた。出会いから18年。そんな中田がついに、ユニホームを脱ぐ。通算309本塁打を放ち、3度の打点王に侍ジャパンの4番まで……。まさに記録にも記憶にも残った“愛弟子”への思いは尽きなかった。

(町田利衣 / Rie Machida)

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