61歳で“新天地”も…5年契約で「何も残せず」 不完全燃焼の猛指導「情けなかった」

近鉄などで活躍した羽田耕一氏【写真:山口真司】
近鉄などで活躍した羽田耕一氏【写真:山口真司】

近鉄で4番やコーチを経験した羽田耕一氏

 元近鉄内野手で引退後も近鉄でコーチなどを務めた羽田耕一氏は2006年から2014年まで合併球団オリックス・バファローズのジュニア監督として子どもたちを指導した。オリックス退団後の2015年から5年間は母校の兵庫・三田学園で野球部監督、総監督も経験。ジュニア監督時代の教え子の中には森友哉捕手(オリックス)や藤原恭大外野手(ロッテ)らプロ選手もいる。「関わった選手が活躍してくれたら、それで満足です。応援しています」と微笑んだ。

 2004年限りで近鉄がオリックスに吸収合併された。1971年のドラフト4位で入団以来、選手18年、コーチ11年、フロント・編成4年と33年間、近鉄一筋の羽田氏にとってショックな出来事だった。その後、合併球団オリックスでジュニア監督を長きにわたって務め、小学校高学年の子どもたちの指導に全力を注いだが、根底には“近鉄魂”があった。「2014年までやりましたけど、楽しかったですよ」と話した。

「大阪、兵庫のバファローズカップに出たチームの中から(選手を)選抜するんです。あの当時は今みたいにセレクションとかないんです。自分で見に行くんですよ。同じ職場で関わっている人間もそれぞれが球場に行ってね。で、選手をチェックして、帰ってから、この選手がいいとか報告して……。だから1回戦で負けたチームからでも、選んだりしていましたよ」。森友哉捕手が在籍した2007年はNPB12球団ジュニアトーナメント優勝も成し遂げた。

「友哉のことはもちろん覚えていますよ。あの子はね、6年生の時から凄かったですから。肩は強いし、足は速いし、打つ方はさらに凄くてね」。プロに進んだ教え子は森だけではない。西武・岸潤一郎外野手は2008年メンバーで、2010年は九鬼隆平捕手(ソフトバンク、DeNA)が在籍。2011年は野口智哉内野手(オリックス)、西川愛也外野手(西武)、竹田祐投手(DeNA)、2012年は藤原恭大外野手(ロッテ)、2014年には来田涼斗外野手(オリックス)がいた。

「岸は、高校は明徳に行きましたよね。九鬼は元気もあって(ジュニアに)即決でした。藤原も見た瞬間に入れようと思いましたよ。あの子はピッチャーでね。プロにも左ピッチャーでいけるんじゃないかと思っていたんですけどね……」と教え子のことになると話は止まらない。思い出は尽きないようだ。「今は(プロで活躍する)彼らをテレビで見て応援するくらいですけど、やっぱり気になりますよね」と目を細めた。

 羽田氏は2014年12月31日付けでオリックスを退団。「(母校の)三田学園の野球部OBの人から『監督をやってくれ、やってくれ』って言われてね」。オリックス・ジュニア監督を“続投”できる状況だったが、熱心に誘われたため、61歳で思い切って新天地に飛び込むことを選択した。学生野球資格研修制度を経て2015年1月30日に資格回復を認定され、2月には5年契約で三田学園監督に就任した。

2014年のオリックス退団後…母校・三田学園の野球部監督に就任

「練習方法を変えました。まずバッティングオンリーでガンガン打たせてね。1人5分くらいやったのを、1人20分打たせたりとか。やっぱり今まで通りでは勝てない。選手たちは『こんなに打ったことないです』と言って喜んでやっていましたよ」。近鉄いてまえ打線の主力だった羽田氏ならではのチーム改革のスタートだった。「ただ、ネックになったのは時間なんですよ。練習時間が短いんです。19時には全員、校門を出なければならないんでね」。

 文武両道を掲げる三田学園の方針だったが、練習終了後のグラウンド整備も考えれば、時間はあっという間に過ぎて行く。「ピッチャーも投げ込みというのがあまりできない。本当の投げ込みといったら、1時間も2時間もかかるんだけど、そしたらもう練習が終わっているしね」。そんななかで工夫を凝らしてチーム強化に動いた。できる範囲で全力を尽くしたが、思い通りには進まなかった。

 チーム成績は1年目(2015年)よりも2年目(2016年)が上がった。「まぁ、少しはね。でもやっぱり……」。選手の成長していく姿を見るのは喜びだったが、自身にとっては満足できる内容ではなかった。その後、立場は総監督に変わった。「3年目からかな。そこからはお手伝いという感じでした」。

 監督として2年、総監督として3年。2019年までの5年契約を終えて羽田氏は三田学園を去った。「何にも残せなかった。悔しいというか、自分自身、情けなかった」とむなしそうに話した。母校での指導は、やりたいことがいっぱいあったはずだが、そのほとんどができなかったのだろう。まさに不完全燃焼で終わりを迎えた形だった。

 それ以来、ユニホームを着ることなく現在に至っているが「三田学園の時に受け持った子がね、中学校の教員になって、中学校(野球部)でコーチしているんですよ」と話すと思わず笑みがこぼれた。羽田氏が教えたことも、そこで伝承されているかもしれない。「そうなったらうれしいけどね。まぁ、別にコーチをやってくれているだけでもうれしいですよ」。

 2025年、元近鉄戦士のレジェンドは72歳になった。「孫が少年野球に入ってやっているんですよ。その試合を見に行ったりしています」と言い、野球との縁はまだまだ続く。元近鉄監督で恩師の西本幸雄氏からの教えは一生の宝物。「僕の古巣は近鉄です」。近鉄バファローズがなくなってから20年以上が経過した今もなお、羽田氏は熱い“近鉄愛”を持って、教え子らが躍動する野球と向き合っている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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