入部テストで“ボコボコ”→落選 消えかけた進路…元阪神ドラ1の運命変えた選択

元阪神の湯舟敏郎氏は興国高から奈良産業大に進んだ
阪神、近鉄でプレーした左腕・湯舟敏郎氏(野球評論家)は1985年、当時創立2年目の奈良産業大(現・奈良学園大)に進学した。大阪・興国高時代は外野手兼2番手投手だったが、大学では投手に専念することになった。「僕は外野のつもりで入ったんですけど、ピッチャー経験者はみんなピッチャーをやれってことでね」。上級生は1学年上の2年生だけ。チームに投手が不足していた事情もあったという。
高校時代は甲子園どころか、夏の大阪大会3年連続初戦敗退。湯舟氏は外野手としても投手としても、これといった実績を残しておらず、進路に関しても「大学に行けたらいいなぁ、そこで野球を続けらたらなぁって感じでした」という。のちの1990年阪神ドラフト1位左腕だが「その頃はプロなんて全くもって、考えてもいませんでした」と笑った。大学も当初は龍谷大進学を目指したそうだ。
「僕の一つ上に龍谷大に行っていた先輩が2人いたんですよ。1年生からレギュラーを取った人もいたので、もしかしたら、入れてもらえるんじゃないかという、そんな甘い考えを持ってセレクションに行ったんですけど、まぁ、見事、落選で……」。続いて興国・村井保雄監督の勧めもあって社会人野球の新日鉄堺を受けた。「その時はピッチャーとして行ったんですよね。たぶん、向こうからピッチャーで、って言われていたんじゃないですかね」。
しかし、ここもうまくいかなかった。「バッター9人に投げたんですけど、8人の人にすごい当たりをされて……。もうカンカンカンって打たれて。社会人はすごいなぁと思いましたけど、面白くもないですよね。で、最後の9人目の人にはもうゆっくり投げたんですよ。そしたら、なんか泳いでレフトフライかなんかになったんです。キャッチャーの人も僕に何か言わなきゃいけないと思ったんでしょうね。『今の球が一番よかったよ』って……」。
当然の如く、不採用。「打たれても、周りに“おぉ!”って思われるような球を投げていたら(結果は)違っていたかもしれませんけど、何の変哲もない球をカンカン打たれて、何を投げても打たれるような感じでしたからね。まぁ、キャッチャーの人に言ってもらったこととか、それも思い出にはなっていますけどね」と湯舟氏は苦笑しながら話した。そして、こう続けた。「これでもう終わりかな、と思っていたところで、ウチの大学(奈良産大)の話が来たんです」。
大学でも外野手のつもりが“投手不足”で状況が一変
最初は急なことだったという。「9月だったか、高校の監督に『今日、奈良産大の練習会があるから行ってこい』と言われて、大急ぎで行ったんですけど練習会はもう終わっていて、中山製鋼と試合していたんですよ。アレって感じでしたね。だから、その時はバッティングはできず、ブルペンでピッチングだけして帰りました」。それから約2週間後、興国・村井監督から「もう1回行って来い」指令が出て、再び奈良産大に行くことになったという。
「その時は天理の人が2人、倉吉北の人が1人。僕を入れて4人が練習会に参加して、先輩と一緒になって紅白戦をしました。まぁ、それがセレクションみたいなものだったんでしょうね。でも、どう思われたとかは全然知らないんですよ。それからどれくらい経ってからかは忘れましたが、特別推薦という形での入試を受けました」。結果、合格し、奈良産大への進学が決まった。「とりあえず入れてもらえてラッキーみたいな感じでしたね」と振り返った。
興国高3年時は5番左翼。湯舟氏は「当初は大学でも外野手をやるつもりだった」と話す。ところが、いきなり流れは変わった。「ピッチャー経験があるヤツは、まずみんな、ピッチャーをやれって言われたんです」。これには奈良産大が当時創立2年目で、上級生が2年生だけだったことが大きく関係する。「2年生にピッチャーは2人いたけど、高校でピッチャーをやっていた人はひとりだけ。なので、どうしてもピッチャーが欲しい年に我々の年代が入ったんです」。
1年生には投手経験者が12人いたそうだ。「そのうちの6人くらいがピックアップされたんじゃなかったかな。で、まだ入学前だったと思いますが、岡山遠征で投げさせてもらったりして……」。その投手メンバーに湯舟氏は残った。1985年、奈良産大硬式野球部は創部2年目にして近畿学生野球連盟に加入し、3部からスタート。いきなり春のリーグで3部優勝を果たす。湯舟氏も登板し、活躍した。左腕投手としての立場は、いよいよ、ここから本格化していくわけだ。
もしも投手不足の奈良産大以外に進んでいたら、どうなっていたかはわからないところだろう。外野手のままだったら、その後も違う道だったかもしれない。「野球に関しては高校(興国)もそうですし、大学(奈良産大)もそう。この2つの学校に行ったというのは、僕にとってすごく大きなことやったんだろうなっていうふうに感じています」。感慨深げに話した。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)