甲子園で容赦ない罵声 “日常”だった「アホ、ボケ、カス」…阪神左腕の唯一の拠り所

元阪神の湯舟敏郎氏が忘れぬ一発「あれが入るんかぁ」
黒星先行の苦しいシーズンになった。元阪神投手の湯舟敏郎氏(野球評論家)は1991年のルーキーイヤーを23登板、5勝11敗、防御率4.66で終えた。社会人野球・本田技研鈴鹿からドラフト1位で入団し、即戦力の期待通り、18試合に先発したが思うように白星を稼げなかった。「負けても次あるっていうのがきついのもわかりました」。人気球団の一員として、ありがたい“称賛の嵐”も厳しい“批判の嵐”も経験した。
虎のドラフト1位として常に周囲の視線を感じながら、湯舟氏はプロ1年目(1991年)のキャンプ、オープン戦を乗り切った。阪神・中村勝広監督からの期待も大きく、デビューは開幕3戦目の4月10日の巨人戦(甲子園)に先発で起用された。初回、巨人1番打者の篠塚利夫内野手からプロ初三振を奪うスタートだったが、結果は3回1/3、4失点で敗戦投手。巨人・村田真一捕手にプロ初被弾となる一発を浴びたことはよく覚えているという。
「村田さんの打球はえぐかったですね。どライナーでした。低いライナーでね。カーンって打たれて、角度的には右中間真っ二つぐらいなところだった。あ、右中間抜けた? いや待てよ、フェン直か? あ、入ったぁ! って、もうそんな3段階でした。あれが入るんかぁ。ああ、やっぱりプロはすごいなぁっていうのは思いましたね。村田さんの、あの打球は今でも(脳裏から)離れないぐらい印象深いです」
2登板目は中3日でリリーフ。4月14日のヤクルト戦(甲子園)、3-3の8回1死から3番手でマウンドに上がり無失点で切り抜け、その裏に打線が2点を勝ち越してプロ初勝利を手に入れた。「あの試合は、最後、野田ちゃん(野田浩司投手)が抑えてくれたんですよね」と言い、1勝目に関しては「足跡は残せたなっていうふうには思いましたね」。だが、3登板目の4月21日の中日戦(甲子園)にリリーフで1回1/3、3失点に終わると2軍落ちとなった。
「ひと月くらいファームに行きました。球威がなくなっていたというんですかね。疲れていたのではないかのような言い方をしてくれたとは思うんですけど、ちょっと使い物にならんっていうことでたぶん落ちたと思います」。それでもめげることなく再調整に励み1軍復帰。5月25日の広島戦(甲子園)に先発し、7回2/3、1失点投球で2勝目を挙げた。「その試合は岡田(彰布)さんがホームランを打ってくださったんですよね」と振り返ったが、この後が地獄だった。
待っていた7連敗の黒星地獄「よく打たれましたね」
湯舟氏が3勝目をつかんだのは、1失点でプロ初完投勝利を飾った8月25日の中日戦(甲子園)で、それが16登板目。3か月も白星から見放された。その間は自身7連敗の黒星地獄にはまり込んだ。「アマチュアは基本的にトーナメントで負けたら終わりで、きついなぁって思っていたんですけど、(プロで)負けても次あるっていうのも、きついんや、ってことがわかりました。いやぁ、よく打たれましたね。本当に……」。
阪神ファンからは厳しい声も浴びた。「でもお金を払って見に来ていただいているわけですからね。心ない野次はない方がベストですけど、ある程度言われるのはしょうがないよなっていう思いは、辛いですけどありました。“アホ”、“ボケ”、“カス”なんてのは当たり前って感じ。不思議なものでだんだん慣れてきますけどね。たまに1人からバーって言われることがあるけど、そういう時って、どの辺から言われているとかもわかるようになるんですよ」。
その上で湯舟氏はこう続けた。「ボコボコにノックアウトされて皆さんにお叱りを受けるわけですけど、なかには『次、頑張ってね』とか言ってくれる人がいるんですよ。1人だったかはわからないですけど、あれで本当に救われました。ああ、こんな人がいてくれるんだ、ってね」。打線との巡り合わせの悪さがあったとしても、投げても投げても白星をつかめない現実はつらい。そんな時の温かい声は身に染みたことだろう。
もちろん、結果を残せば大絶賛も受ける。「(阪神ファンは)称賛もメチャクチャしてくれますからね。(駄目だった時に)怒っていた人も言ってくれていると思いますしね」。3か月ぶりの3勝目となった8月25日のプロ初完投勝利では「最後まで投げられたんやっていうのがすごくありましたね」と感慨深げに話す。9月14日の広島戦(広島)ではプロ初完封で4勝目、9月23日の大洋戦(甲子園)でも完封で5勝目をマークした。
1991年の阪神は最下位に終わったが、9月22日から5試合連続で中込伸投手、湯舟氏、野田投手、猪俣隆投手、葛西稔投手のドラフト1位投手が完投勝利を挙げて話題になった。「僕は2番目(の試合の先発)でよかったですよ。でも1年目は自分のことで精一杯。若手に切り替える年だから使ってくれているんだろうなぁっていうのがありましたしね」。そんな経験が次につながっていく。ノーヒット・ノーランを達成し、緊迫の優勝争いも繰り広げた2年目に……。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)