暴力事件発覚…不祥事で終わった“最後の夏” 涙も出ず絶望「正直、記憶がない」

今江敏晃氏はPL学園高3年時に主将を務めていたが不祥事発覚で出場辞退
ロッテなどで通算1704試合に出場し、現役を引退後は楽天の監督も務めた今江敏晃氏。PL学園高時代は“最強世代”と呼ばれながらも、主将だった3年夏は不祥事により大阪府予選を戦うことすらできなかった。“最後の夏”がまさかの形で終わりを告げ、涙すら出ない絶望の日々を過ごした。
中学生時代から、地元・京都府内では名の知れた存在だった。「打ったり走ったりでいうとピークというか、一番自信を持っていた時代でした」というように、高校の勧誘は30~40校ほどもあった。そんな中から、甲子園、さらにはその先のプロも見据え、PL学園高を選んだ。
1年時から主軸を担い、2年夏に4番として甲子園出場。新チームになると主将を任された。順調に歩んでいたように見えた今江氏だが、秋は大阪大会準決勝で敗れて選抜出場は断たれた。そして意気込んでいた最後の夏は、まさかの結末となった。
「寮の敷地内に全員集められて『夏の大会は出場できない』と言われたのは覚えています。涙も出ないというか、絶望感。『え、今からどうするの? 何をするの?』みたいな感情になりました。最後の夏に懸ける思いで練習して、厳しい寮生活にも耐えてきた。現実を受け入れるのに時間がかかりましたね」
厳しすぎた寮生活も「人として非常に成長させてもらいました」
予選を目前に控えていた6月、部内の暴力事件が発覚し、半年間の対外試合禁止処分を受けることになったのだ。あまりの衝撃に、「正直、記憶がないんです」というのも仕方ないだろう。かすかに覚えているのは、寮で後輩たちを集めたこと。「彼らにとってはこれから甲子園を目指す、自分たちの代になるスタートのとき。『申し訳ない』という思いで謝りました」。
そしてもう一つ苦しかったのは、これまで伝統校を築き上げてきた先輩たちへだ。「自分がキャプテンの代でそういうことが起きてしまったことに申し訳ないと……」。実家に戻り、親の顔を見たり夏休みに友人らと過ごすうちに少しずつ気持ちを切り替えることができた。
「ひとつも油断ができない生活。神経を常に張っていないといけない生活はかなりきつかったです」という厳しすぎた寮生活も、今では「人として非常に成長させてもらいました」と振り返ることができる。中学時代までは当たり前のように親に頼っていたことも、全て自分たちの手で行わないといけない。「感謝の気持ちを持つというのは大きな教えになりましたし、ほかの人にはできない経験や成長ができたのかなと思います」とうなずいた。
甲子園どころか、夏の予選でもアピールする道が断たれた今江氏だが、スカウトの注目が薄れることはなかった。「ロッテが1位で指名してくれる可能性が高い」という話が耳にも届いていたが、結局は3位でプロの門を叩くことになる。
(町田利衣 / Rie Machida)